OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

浮気の定義の境界線上のゴリラ

少し前に大学時代のゲイの友人と飲みに行った。

本題に入る前にまずこの友人について説明しておこう。年齢は自分と同い年の24歳。大学時代の友人と言っても彼と自分の大学は違う。彼は名古屋大学経済学部卒の秀才。お互いが21歳の時にあるイベントで知り合った。

ちなみに彼は事あるごとに低学歴を下に見る生粋の学歴厨。更にちなみに自分は地方私大卒。彼とはシンプルに馬が合わないが、なんだかんだ同い年の縁もあり時々は飲みに行く程度の仲だ。

顔は穏やかなゴリラ。というかゴリラ。ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ。

 

その彼が「ナイモンに登録した」と飲みながら話した。ナイモンとはゲイが使う出会い系アプリだ。まぁ皆知ってるか。

彼は4年だか5年だか付き合っている恋人がいる。だが彼は浮気や出会い系とは縁遠いタイプだと思っていたので、そのまま続きを促すことにした。

彼の話は以下の通りだ。

長い付き合いの恋人がいる。恋人との関係も良好でこのままパートナーシップなんてものも考えている。しかし俺は今の彼と付き合った以外に男を知らない。このまま今の彼と一生いるとしても、少しは他の男というものを知っておきたい。だからナイモンに登録した。

 

「はぁ?いやいや...」である。隙あらば学歴の高さをひけらかし、お得意の「経済的価値」というクロス軸のみで万物を分析せしめる才子の男も、結局は性欲ゴリラへと回帰してしまうのか。草葉の陰でアダム・スミス先生も泣いてるだろうよ。男の性欲を否定する気はないが、その性欲を正当化しようとしているのがなんかムカつく。単純に「オレ、オトコダキタイ」と言え。森の猩々みたいな顔しやがって。

そんな事を言うと

「ちゃうねん。」と彼の反論。

ちゃうらしい。前のめりになった身体を戻して続きの話を聞く。

 

彼以外の男とセックスはしたくない。だが、「俺は彼以外の男を知っている!」という確信が欲しい。だから俺はその条件を満たす”究極の遊び”を実行した。

なるほど。軽はずみに浮気するような思慮の浅い男ではないとは思っていたので、この言葉にひとまずの納得をする。しかし問題は彼の言う”究極の遊び”である。

「ナイモンで知り合った人とクルージングバーに行った。」

クルージングバーがどの程度メジャーな言葉か分からないので、ここでもまた説明を挟ませてもらう。クルージングバーとはお酒を飲みながらエッチなことが出来るバーである。要はハッテン場のお酒飲める版だ。詳しくは各自で調べてくれ。

説明が必要な単語が多くてさっきから文が進まない。ゴリラはゴリラらしくバナナ食ってうんこでも投げておけばいいのに。それなら説明も全く必要ない。

 

話を戻すと、性的関係を結ばずに性的な男を知る場所としては、性的な欲望が濃縮されているかつそれが自らの選択によって還元するかしないかを選べるクルージングバーという場が最も適しているとロジカルに彼は考えたらしい。え?理解できます?この話。俺は全く理解出来ませんでした。

 

「そこで何したんだ?」

「一緒に行った男が他の男とエッチなことしているのを酒飲みながら見ていた。」

完全に行動が常軌を逸している。普通にバーでも行って他の男と交流するのではダメだったのだろうか。映画でよく見る発狂した金持ちの老人と行動が一緒だ。金で買った娼婦にセックスをさせて、それをブランデー揺らしながら見ているタイプの男だ、こいつは。

 

というか、いくら性的接触が無かったとはいえここまでやっておいて身の潔白を証明出来るのだろうか。

浮気の定義なんてものはカップルにおいて千差万別で、他の人とセックスするのはOKというカップルからお風呂一緒に行くのもダメといったカップルまで様々だ。ここでそんな不確定でセンシティブな定義を論ずるのはやめておくにしても、彼のこの行動はどうだ。

 

恋人がナイモンに登録しているのを見つけたとする。「ごめん、気の迷いで...」なんて言うのはまだ納得もできよう。しかしこの男の場合は

「大丈夫、浮気はしていない。一緒にクルージングバーに行った男が他の人とエッチなことするのを酒飲みながら見てただけだから」

という返答が返ってくるのだ。自信満々のゴリラ顔で。浮気の有無の前に相対する男の倫理観や人格の方に気を取られる。ここで予想される恋人の反応は「浮気なんてサイテー」ではなく「気持ち悪い...」である。余韻を残すタイプの軽蔑。

 

どこからが浮気でどこまで浮気じゃないか。心が揺れ動いたら浮気なのか。身体を交えたら浮気なのか。ほんとに人それぞれである。彼のカップル間ではどうなのか。他人が立ち入ることではない。

まぁ、でももしこれが恋人の怒りに触れた場合は自分も一緒に謝ってやろう。彼はおかしいところはあるが、基本的には頭が良く気の良い人です、と。仲直りの後はバナナでもあげて欲しい。

 

人生ってのは比喩でもなんでもなく冒険そのものだ

先日、いとこの子どもを預かることになった。2歳ぐらいの男の子だ。

自分は子どもを育てた経験も年の離れた兄弟がいるわけでもないので、2歳くらいの男の子がどういう挙動をするだとか、どういうものを好むだとか、この子は発育が早いだとか遅いだとかは一切分からない。なので預かることになったといっても、全く未知の存在を預かったことになる。UMAとほぼ一緒だ、自分にとっての2歳の男の子というのは。

なので当然どうやって遊んだらいいかも分からない。そんなことであたふたしていると、母親から「2歳くらいの男の子なら外連れてってあげたらいいよ」という助言。男の子を既に二人育て上げた女からの助言だ、大人しく戴こうと思い、彼を連れて近くの動物園に行くことにした。

 

一応、移動中の車内で動物が出てくる動画なんかを見せてみる。ゾウとかキリンが出てくる度にキャッキャと声を上げて喜んでいる。ほぉ、どうやら動物を観賞物として楽しむことは出来るみたいだ。安心。これなら動物園もそこそこ楽しめるだろう。

 

動物園に着いて色々と見て回ったが、見える動物にはそれなりの興味を示していた。プールの際で日光浴をするペンギンを怪訝な顔で見つめては「あ?」とか「お!」とか言ったり、飼育室をウロウロするトラにはガンを飛ばしてみたり、止まり木の上で大きく羽を広げるコンドルには一丁前に身構えてみたりもしていた。

そういう反応も面白かったのだが、彼には見えないものも多くあるのも面白かった。例えば、草の向こうに隠れるライオンだとか、木の陰で寝そべるジャガー、水面下でじっとしているカバなんてのは、こっちがいくら指を差して視線を誘導させようとしても彼は結局それらを見つけられなかった。

 

保護色とかの効果もあるかもしれないが、そもそも彼は「柵の向こうにはなにかがいる」という前提、お約束みたいのを理解していないみたいだった。だから反応的に見つけられるものには興味を示すが、目を凝らさないと見つけられないものにはそもそも興味すら示さない。

もし、そこが柵やら格子やらで隔たれてなかったら、彼は無頓着に動物たちのテリトリーに入り込み、頭をかみ砕かれたり手痛い後ろ蹴りを喰らったりするのだろうか。当然、自分もサバンナの真ん中に放り込まれたりして人間有利の状況でなければ動物たちの餌になることは想像に難くない。しかし2歳の彼にとっては動物園もサバンナになり得る。動物園の真の価値を味わえるのは、彼のようなほんとに小さい子どもだけなのかもしれない。

 

しばらく見て回った後、彼がなにやらぐずりだした。どうにか読み取るに、歩かせろと言っていることが分かった。その日はベビーカーで行ったのだが、いとこも「最近歩きたがるのよー」とは言っていたので、靴も持ってきていた。まぁ、歩きたいというなら尊重しよう。人はいつだって自分の足で歩き出せるのだから。それはまだ覚束ない足取りである2歳児でも同様だろう。よし、行ってこい!

と意気揚々に歩き出させたのはいいが、なんとも無軌道で不安になる進み方であった。前に進もうという意思は感じるが、前と言っても自分たち大人の想像する前ではなく、右に寄ったり左に寄ったりしながらの前進だ。他の人にぶつからないように注意しながらの行軍は非常に疲れた。

 

しかしその背中は非常に楽しそうで希望に溢れているように見えた。

彼はきっと冒険しているのだろう。

これは比喩でも形容でもなく、彼はただただ冒険をしているのだ、と思った。

ライオンがガオーと鳴いただけで泣いてしまう彼だが、動物園を一人誰とも手を繋がずに歩く彼の背中はどこか勇ましく、文字通り一歩間違えば死んでしまう自由を謳歌していた。そんな勇猛果敢な彼の後ろ姿をなぜだか少し羨ましく感じてしまう自分がいた。

人生ってのは冒険に例えられる。なにもなくただ広い荒野、鬱蒼と草木生い茂る密林、険しい山。それぞれがそれぞれの地形を自分の足で踏破していかなければならない。誰もがそうだ。

 

周りを見渡す。

シロクマ可愛かったね、と笑いあうカップル。彼らはこの後セックスでもするんだろうか。愛し合っているんだろうか。死ぬまで出会って良かったと思いあえる関係になるのだろうか。今もそうなのだろうか。今後もずっとそうであるのだろうか。

羊を触ったんだから手を洗おうと言う母親、別にいいだろと言う父親。その横で鼻水を垂れ流す子ども。夫婦仲は良いのだろうか。彼らはどんな家族になっていくのだろうか。

 

明らかに冒険然として歩みを進める彼も含め、ここいる誰しもが冒険をしている最中なんだなと感じ入る。

今日初めて動物園を訪れた彼も、いずれは自分と動物園に来たことも忘れ、親と来ることも嫌がるようになり、別の誰かとまるで初めて動物園に来たようにまたここに来るだろう。

更にその先には、彼も言うことをロクに聞かない子どもを引き連れてここを訪れるかもしれない。彼もその頃には、今日見つけられなかった草の向こうに隠れるライオンも、水面下でじっとしているカバも簡単に見つけられるようになっていて、人生は冒険だ、なんて素振りを一切しないのかもしれない。

 

けど、そうだな。教えられたぜ、2歳児よ。無為に毎日を過ごしていたから忘れていたが、俺も人生を冒険しているんだってことを。

 

特に自分は同性愛者ってこともあって、結婚だとか出産だとかっていう人生の起伏もないと思っていたが、人生はそれだけじゃない。ただ自分の足で動物園を歩いてるだけの彼の背中がここまで雄弁に人生は冒険だってこと語っているのだ。自分にとっての人生も誰かから見たら立派な冒険かもしれない。あそこにいるカップルや家族のように自分もなにかを積み重ねれるかもしれない。

というか、そうであったらいいな。そう思ってくれるように生きていこうかな、なんて思わされた2歳児との動物園であった。

 

けど、子どもと一日中遊ぶこと自体はクソ疲れたのでしばらくは勘弁願いたい。

カッコよ「King Gnu」

King Gnu

知っていますか。King Gnu

もう世間の大方は知っているであろうKing Gnu。未だに読み方も知らない奴はJKに散々煽られた挙句、通学カバンの固いとこでボコボコに殴られるくらいにファンを集め大人気のロックバンドだ。

 

例に倣って僕も大好きです。その音楽性はもう一回聞いてみたら分かるから聞いてみそって感じで説明不要のバンドサウンド。しかもオシャレ。ヤバい。すごい。怖い。

四人とも「お酒飲ませたら絶対ろくでもないことになる」と易々と想像できる粗雑な外見、恋愛詩じゃないと誰も聞かないよって言われてる現代に真っ向から牙を向ける人生哲学詩、オシャレすぎて「サビどこ?」って感じの訳分からんサウンド、そういう一見”流行らなそう”な要素を詰め込んだバンドであるのに、この流行りよう。

 

じゃあなんで流行ってるか。って言うともう一言。

「カッコよ」

これだけです。もう聞いて下さい。絶対聴き終わったあと言います。「カッコよ」って。

 

テンション上がりすぎて全く為にならないことばっか書いてますので、一応個人的におススメの曲とかも書いておきます。

これです。ドン!

 

CEREMONY (通常盤) (特典なし)

CEREMONY (通常盤) (特典なし)

 

このアルバム 全曲です。

あ、待ってください!アルバム丸々聞く時間ねぇよ、そもそもお前のおススメとか興味ねぇよ、とか言わないでください。泣きますよ。

 

じゃあもう試しにでもいいんで、このアルバムのどっからでも好きな曲から聞いてみてください。

絶対、「え、一曲目から聴こ」ってなりますから。俺はこれで何回電車乗り過ごしたか。

一応言っときますとこのアルバム、コンセプトアルバムなんです。

 

コンセプト・アルバムConcept Album)とは

ある一定のテーマまたは物語に沿った楽曲によって構成されたアルバム。アルバム全体でひとつの作品になっている作品をさしている。ーWikipediaより引用

 

一定のテーマ持ってるんで、途中から聞いても初めから聴きたくなっちゃうのは必定なんです。小説を途中から読めないのと一緒で、コンセプトアルバムってのは途中から聞いちゃうと「気持ちわるっ」ってなっちゃうんで、初めから聴いちゃう。

けどバチボコにオシャレの理解不能サウンドなんで、何万回聴いても新たな発見がどんどん出てきます。もう終わりません。無限です。無限に楽しいです。ONE PIECEのアラバスタ編が無限に読めるようなもんですよ。ずっと楽しい。ナミVSミスダブルフィンガーのとこずっと読めちゃいます。

 

このアルバムの更に恐ろしいとこはまだありまして、

このアルバムに入ってる曲、8割くらいタイアップソングなんです。これでこの「コンセプトアルバム」の完成度。

やっぱタイアップソングなんで作ってる方も全力なんですよね。だからアルバム曲とかにありがちな箸休め曲みたいなのがないんです。もうカツカレーラーメンオムライス牛丼みたいなボリューム。それがこのアルバムに詰め込んであります。大丈夫か?その内爆発するんじゃないか、このアルバム。

 

色々と語りましたが、最早言葉は不要です。言葉など既に意味を持ちません。

聴いてください、King Gnu

737,430日目の決意

明けましておめでとうございます。明けましたね。明けましたか?年末からここのところ寝てばっかりだったので、年が明けた気が全くしておりません。大丈夫ですか?自分みたいに明けてない人、いませんか?
 
そんなこんなで新年が始まり仕事始めの1日目の1月6日。
新年の始まりっていう区切りはなにもしていなくてもそれなりに気持ちを新たにさせてくれるから便利である。
12月31日から1月1日を迎えた自分と11月30日から12月1日を迎えた自分、そこには同じ1つの夜を越した自分があるだけなのに前者のほうがなんとなく気分も新たに1月1日を迎えられたことを喜んでいるんだからおかしな話と言えばおかしな話である。
 
人間が生まれる前から連綿と続いていた世界のリズムってやつに後から生まれた人間が適当に枠を作ってそれを自分たちのリズムとしてしまった。それが暦ってやつだ。
だから、勝手に置かれたハードルを飛び越えて新たな気分になっているおめでたいイベントが正月ってやつなんだろう。
 
しかし、人間は区切りがないと頑張れない生き物であることも確かだ。もしこの世に暦ってもんがなくて、今日という日がD.C737,430日目とか呼ばれていたら恐怖を覚える。
いつまで続くか分からないこの世界において今日は737,430回昼と夜を超えた日。こんな果てしない数字を見せられた日には生まれた瞬間に自殺してしまいそうだ。
 
果てしないことに恐怖を覚えるのが人間の性だ。だからどっかの優しい人が適当に暦ってもん作って人々に受動的な区切りを与えた。ありがとう、どっかの優しい人。
そんなこんなで今年も暦的な区切りを迎えた人類。あまりに勝手にそして盛大に区切ってくれるものだから、みんなこぞって気持ちも新たにするのも当然だろう。
 
ここで疑問に思うのは、じゃあ暦に依らない、受動的ではないそれぞれの人生の区切りってのはどこでつけたらいいのだろうか。みんな人生を何で区切っているのだろうか。誰かと付き合ったり別れたりした日だろうか、何かを好きになったり飽きたりした日だろうか。
果てないことを恐れる人間が自らの人生を区切り決意を新たにする瞬間とは、一体いつなのだろうか。
 
なんだか大仰に書いてしまったが、これは人それぞれの無意識下に必ずあるものだろう。一般の多くの人は結婚とかがそうであろうし、学生なんかは卒業が区切りとなるだろう。
結婚も卒業も無い社会人ゲイである自分としては、どっかで区切りを決めないと自分の人生がのっぺりとしたものになっていってしまうことだろう。それは怖い。自分の人生を果てなく無為に消費していく恐怖がそこにはある。
 
こういうのが上手い人は自分の属性が何であろうと、しっかり区切っていけるのだろうか。それぞれがそれぞれにしている区切りと決意。自分もいずれしていくことになるのであろう。明日、明後日ではないがいつか、必ず。
 

ホモが選ぶ!サザエさんで最もエッチな男性キャラランキング!!

日曜夕方。

サザエさんを見ながらの雑事をこなしていると、明日からまた仕事か...と嫌になってくる。これを世間では「サザエさん症候群」と言うらしい。

自分も例に漏れず「サザエさん症候群」を発症し憂鬱な気分となっていた。

そもそも仕事へのモチベーションの低さから来る「サザエさん症候群」ではあるが、そうは言っても仕事が嫌なものは仕方がない。ならば、少しでもこの「サザエさん症候群」を緩和する為に出来ることは何だろうと考えてみた。

 

憂鬱な気分を取っ払う為には、楽しい事をするのが一番だ。ならば大人にとっての楽しい事、興奮する事と言えばなんだろうか。

 

それは一つしかない。エッチなことだ。

エッチな事で人は興奮し楽しくなる。これは古今東西、あらゆる人に当てはまることだろう。当てはまらない人がいたら申し訳ない。そういう人はそもそもこんな場末のブログを見ている時間はないはずので関係ない。

 

サザエさんを観ると憂鬱な気分になると言うならば、サザエさんを観て興奮すれば日曜の夜もハッピーに違いない。

というわけで(?)、第一回サザエさんエッチなキャラクター考察(ゲイ目線)をしていこうと思う。(ランキングではないです。タイトル詐欺ごめんなさい。)

これを踏まえれば、サザエさんをエッチな目で見れ明日への元気もグングン↑だろう。

 

まず、サザエさんの主要な男性キャラのおさらいだ。ざっと思いつくだけで、波平、マスオさん、カツオ、タラちゃん、ノリスケ、中島くん、伊佐坂さんとこの浪人生、がいる。

 

まず、波平。

波平...いきなり波平か。老け専需要はある。当方は老け専ではない故にあまり魅力を語れないが、気になるのはそもそもあの年齢で勃つのか?というところだ。フネさんとの情事は行われているのだろうか。未だにフネさんの船着き場に波平の黒船が入港しているというなら、まだワンチャンある。老け専の方にはワンチャンある。自分はちょっと厳しい。介護感でちゃう。

 

次はマスオさん。

調べたところ年齢は28歳。いい年齢だ。一番モテる。20代後半ってのは正直一番モテると思う。年齢については問題ない。しかも早稲田卒の商社勤務。学歴厨にも満足してもらえるだろう。

しかし、マスオさんのイメージで思いつくのはあの特徴的なセリフだ。「んん〜?◯◯じゃないかぁ〜!」あれをSEX中に持ってこられたら萎えること間違いない。

使い込まれたケツ穴をみて「んん〜?黒アワビじゃないかぁ〜!」とか言われたらちょっと引く。言葉責めにしてもいちいちあの声色で言われるとあまり盛り上がる気がしないのが懸念点だ。年齢は丁度いいがエッチ下手そうってのが個人的な所感だ。

あと凄い気になるのが、サザエさんは股開く時は「サザエでございます!」って言うのだろうか。それとも王道の「アワビでございます!」なのだろうか。気になってしょうがない。

 

お次はカツオ。

現役(?)野球部。これだけでフォロワー1000人はいける。いつからか人は肩書きに左右される悲しい生き物に成り果てた。

野球部っていうのはそれだけで様々なフェチを解決できる魔法の肩書きなのだ。筋肉、坊主、野球ユニ、先輩後輩プレイ...変態フェチを一手に引き受けれる万能感。そこに人が惹かれるのは当然であろう。

ただ一つ懸念があるとしたら、それは野球経験者はほぼほぼの確率で尻舐めを強要してくるって点だ。これはもう間違いない。筆者の体験談なので間違いない。俺を信じてくれ。奴らは執拗に尻を舐めさせようとしてくるんだ。

尻舐めをもフェチという人には文句の付け所がないんではないでしょうか。俺は無理です。尻舐めは無理です。近寄らないで下さい。

 

タラちゃん。

ちょっと子ども過ぎる。カツオはまだワンチャン精通していそうだがタラちゃんはサザエから乳離れをしているかどうかも怪しい。唯一評価できる点はカツオには無い無邪気さから来る貪欲なエロへの探究心だが、なにせあの幼い容姿からそれを想像するのも少し躊躇われる。

背徳感があるという意味でも評価は出来るが、需要が少しニッチ過ぎる。まぁ、イケる人はどうぞといった感じだ。そういう人は早く警察に捕まってくれと願うばかりだが。

 

ノリスケ。

公式設定では25歳。既婚。子持ち。ちなみに妻のタイコは22歳。21歳のタイコを無計画に孕ませるとか変態かよ。最高。あとアホっぽいのも良い。すぐちんちん出してくれそう。

体型はデブ専には需要あるかも、といった感じ。しかし25歳であのぼて腹は大丈夫か?とちょっと心配になる。人のことを言えた義理ではないが。

プレイとしては酔っ払わせた後にノリスケの乳首をチュパチュパしながら「バーブーッ!ターイターイ!」といったイクラちゃんになりきっての赤ちゃんプレイが理想か。「バァーブゥー!」に気合いが入りすぎて唾が飛散してしまうと自分の唾の臭さで我に帰りやすいのがネック。

あとは他人の家のすき焼きを勝手に食べにくるといったがめつさがあるのが気になるところだ。若さからの性欲の強さも相まって、仕事終わりに一発抜いてくれない?といった面倒な頼みごとをしてきそうなところは少しマイナス評価だ。俺は仕事で疲れてるから帰ってタイコと赤ちゃんプレイしなよ、ノリスケくん。

 

中島くん。

尻舐め強制男。早川さんあたりに舐めてもらえよ。どうでもいいけど早川さんって剛力彩芽に似てるよね。

 

伊佐坂さんとこの浪人生。

名前調べました。甚六さんというらしいです。

個人的おススメです。なんといっても童貞っぽさが良い。

男として脂のってるマスオ、ノリスケあたりは人気キャラではあるんですけどなんにしても既婚者ですからね。SEXの相手だけならまだしも、恋愛するのはちょっと気が引ける。

その点、甚六さんのあの初心感。「エッチなことは大好きだけど経験が無いから恥ずかしい...」そういうタイプです。甚六さんは。青田買いの魅力詰まってます。恥ずかしがりながら服を脱ぐとこだけでご飯三杯はいけます。おかわり!

あとハチという犬を散歩している点もグッド。甚六さんをハチのような舐め犬に仕立てる妄想が捗ります。

ネックとしてはいささか登場回数が少ないことで妄想の機会も少ないことでしょうか。

 

 

これ以上書いてるとほんとに頭おかしくなってきそうなのでここらへんでやめておきます。

憂鬱な日曜夕方。あなたも『サザエさん』に欲情して憂鬱さをふきとばしてみてはいかがだろうか。

 

さーて、来週のサザエさんは~?

「マスオです。先日、誰もいない会社で全裸になってマスをかいていたらアナゴ君に見つかってそのままハメられてしまいました。んん~アナゴ君のチンアナゴ気持ちよかったなぁ~」

 

さて次回は

カツオ、テレセにハマる

サブちゃん、親方との秘密の関係

堀川君、奴隷犬を飼う

の3本です。

 

次回もまた見てくださいね~ じゃん けん フィストファック!

うふふふふ~

 

言葉ってもんが無くなっちまえばいいのに

世の中、色んな人がいて色んな考えをもっている。十人十色っていうものを良しとしてこの世界は回っている。

それを伝える最たる手段として、人間は言葉を発達させた。

今のコミュニケーション手段を考えてみても、会話にチャットにビデオ通話、ラインにメール。どれもこれも言葉を以って人は人に気持ちを伝える。言葉でしか気持ちを仔細に伝える手段を持たない。

だから誰もが言葉を上手く使えるようにならなきゃなんて思うし、言葉を上手く使えるやつはどんどんのし上がっていく。
それこそ、「演説が上手い」なんていう人物は政治的に優れていると思われがちだ。しかし本質は喋りの上手い人間ではなく、政策理念の望ましい人間が政治的に優れていると思われるべきであるのに、だ。吉本芸人の人気投票ならいざしらず、一の言葉に様々な彩りをもたせてやれる人間はそれだけで優れていると思われてしまう。

 

一のことを言葉で伝えるときに選ぶ言葉や言葉の数によってその人の色ってものが出る。
一のことを伝えるときに本当に一のことしか伝えなければぶっきらぼうな印象になっていくし、一を伝えるのに十を伝えるけれど朴訥と話せば実直な印象に、逆にリズミカルに話せば調子が良い印象に。

言葉の選び方と使い方で全く印象が変わることから、言葉の使え方ってのは人間としての営業戦略の最たるものとなり得る。


印象操作としての言葉が人の言葉の表側に出てくる。だがそれ以前として言葉というのは人の考え方を、情報を伝える機能として存在している。そして往々にして、人の考えってのは表に出てくる言葉の奥に潜みがちだ。

言葉で伝わり方がいくらでも操作できてしまう以上、言葉に落とし込んだ時点でそれは自分の考えとは微妙に乖離したものとなってしまうのではないだろうか。.

伝え方に人間性が出るっていうのは当然である。しかし、言葉を通して伝えたいのは人間性ではなく、自分の核となっている考え方や情報なのだ。

自分だってこうやってブログを書く事によって言葉の数や伝え方ってのに長けているように見えるかもしれないが、現実はそうはいかない。というか、こうやってブログを書いている人間の方が日常でも伝え方は下手だ。一を伝えるために十も百も言葉を並べて結局何が言いたいのか分からない。

でも直球ってのは投げられない。それが人間性といわれ、優しさとか狡さとか言われてしまう。伝えたいのは、百の言葉の先のたった一つなのに、伝わるのは大抵そこだけだ。

 

そのうち考え方がビジュアル化されて、余計なコミュニケーションが取っ払われる時代が来るかもしれない。伝え方で守ることも責めることも出来る煩わしさが取っ払われる日が来るかもしれない。

 

言葉で伝える事に長けた人物はこういうことを思わないのだろうか。戦略を楽しむのだろうか。なんとも羨ましいような恐ろしいようななんとも言えない気持ちだ。

 

まだしばらくは言葉に頼ったコミュニケーションに左右される僕たち。言葉で伝える手段を磨くしかない。それか本当の一を見つけてくれる相手を探し続けるしかない。

借りてきた言葉で、自分の中で育ったような、伝え方に則りながら。

 

 

言の葉の庭

言の葉の庭

 

 

 

悪口の正体見たり、枯れ尾花。

本日、昼休み。
同期のKがなにやら熱心にキーボードを叩いていた。普段は不真面目なKが熱心にパソコンに向かっているのが珍しかったので、ちらっと彼のパソコンを覗き見た。画面に映し出されていたのは、仕事の情報ではなくヤフーニュースであった。
こいつ...真面目に仕事をこなしているのかと思えば優雅にネットサーフィンかよ。
僕は「おい」と声をかけて、「なに見てるんだ?」とKに問いかけた。すると彼は無表情のまま「芸能人の悪口をかきこんでるんだよ」と当然かのように答えた。
こいつ...古い...今どきネットニュースに芸能人の悪口を書き込んでストレスを発散するやつがいるのか。
「なにやってんだよwww」と呆れながら会話を打ち切ったが今になって思うと、ネット上でよく見る「なんでもない赤の他人が誰かを叩いて面白がっている」という行為を行っている人間を初めて見た気がした。
 
確かに古今東西、人の悪口を糧に生きてます。という人はいる。それについてはどうも思わない。Kに対しても「ふーんそっか」くらいの感想しか抱かない。
しかし、人は何故なんでもない他人を叩くことをやめないのか。いったいそこにどんな意味があるのか。ちょっと気になったので考えてみようと思う。

まず、そもそもなぜ人は"叩かれる人"と"叩く人"に分かれるのか。
恐らく、世の中の叩かれる人の共通点ってのは何かにおいて突出している人だ。(法を犯している人間や悪目立ちしている人間は除く)
芸能人にしろSNS上での有名人にしろ、注目の的となっている人間が叩かれるターゲットになっている。美人とか面白いとか変なヤツとかそういう人たちだ。人が多く集まっているところには当然それを批判する人間も集まってくるという分かりやすい理論だ。

じゃあなぜ"叩く"のか。突き詰めて考えてみると結論は一つだ。嫉妬。これに尽きるであろう。
特にモノをあれこれ考えて要らぬ心配を溜め込んでしまう思慮深さが裏目に出ている人間が

「俺もちやほやされてぇ...かつそれでいて愛されてぇ...休日課長の犬になりてぇ」 
みたいな欲求を抱えてしまうと、

「けど人間関係や今の生活を壊すようなアグレッシブな行動は無し。人の目があるし...」
となり、建前との板ばさみで苦しみだす。そんな葛藤をもって生活している。
そんな人間を前に、ちやほやされているやつは現れるのだ。彗星のごとく。普段抱えている葛藤を昇華しているヤツを目の前にすると人は当然嫉妬する。

「おいおい、普段俺はこんなに我慢しているのに、お前はなんだ?飛ばし過ぎだろ。スピード違反。ここはテキサスのハイウェイか?」
となる。そして叩く。
しかも一度叩けばさらに泥沼にはまることがある。一度叩いてしまったのだから、自分が同じような事をして注目されるのは自分を裏切る事になる。だからなおさら叩く一辺倒になり抜け出せない。そういうループの中で人は叩く行為を繰り返す。悲しいね、バナージ。

注目される人間ってのはなにも悪い事はしていない。盗んだり傷つけたりはしていない。それでも突出している故に叩かれる。人はこれを有名税とかいうらしい。
皆んなとは違うスピードで走っているからこそ事故に遭う。さらにここは日本なのでスピード制限もかなり厳しい。みな一列になるのが日本の慣わしなのだ。
 
これ以上書くと、同調圧力如何の話になりそうなのでこの辺でやめときます。皆様、スピードの出しすぎにはご注意を。
 

 

 

Brand-new idol SHiT

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