書くこと
昔から書くことが好きなきらいがあった。
今までに日記と呼べるものは数多く書いてきたが、今やそれぞれはどこかで再生紙となって誰かの手元にあるか、メデューズ号の筏のごとくネットの海で難破中であろう。
彼らのことを思い出すとどうしても顔が歪む。過去の憧憬や劣情に駆られて書き殴った文は、未来の自分にとって毒でしかない。
要は恥ずかしい。それを分かっていながらもまた書いている。恥の上塗りに次ぐ上塗りだ。塗りたくったところで下地が見えなくなる訳でもない。度し難いことである。
今やSNSが発達して自分の考えを手軽に発信でき、かつ多くの人と容易に繋がれる。衣食住に満たされた人間が多いからこそ、上位欲求を充たすコンテンツというのが流行るのだろう。良いことだ。ブログもその一つでありながら、twitterやInstagramに代表されるSNSとは性質を少し異にしている。まず、手軽ではない。そして、多くの人との繋がりは薄い。
注釈を入れるが、"自分の"ブログの使い方はそんなもんである。ただ、書き殴るだけ。それを見られてるのか見られてないのかよく分からない状態で満足する。言わば自己満足だ。オナニーだ。つまり、自分はオナニーが好きなのだろう。然もありなん。
自分もtwitterをやっている。ほとんど動かしてないが。苦手なのである。何故か。160文字だかの文字数に収めるのが非常に難しい。
マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は何故あれほど注目されたか。長いからである。嘘だ。当時のスノビズムや世俗風俗を克明に書いているからだ。
しかし、ベル・エポックの様子を160文字に纏めてマルセルが発表していたらここまで有名にはならなかったのは確実と言える。文章は短いほど、情報の取捨選択が難しい。自分はそれが中々出来ない。それだけだ。しかし、一応twitterと連携しておく。便利な時代である。
兎にも角にも、自分は思いの儘に書くことがそこそこのストレス発散になるらしい。恥の上塗りを超えて己の屍を踏み越えてでも、それは続けられるものなのだから中々得難いことだ。大事にしていこうと思う。
失われた時を求めて(1)――スワン家のほうへI (岩波文庫)
- 作者: プルースト,吉川一義
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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