夏の終わりに思うこと
夏の終わり。
そろそろ夏が終わりに近づいているんではないでしょうか。
今年の夏はべらぼうに暑かった。いや今年も、と言った方が適切かもしれない。毎年毎年、最高気温とやらを更新し続けている気がする。温暖化ファッキューである。
冷夏なんて単語、いつ聞いたかも定かではないくらい毎年暑さに蒸されている。毎日暑すぎて、暑さのピークはいつだったか分からないが。
そう思うと夏至は分かりやすい。太陽と地球の関係で、間違いなく昼が一番長い日が決まっているのだ。でも、夏至が暑さのピークというわけではない。むしろ、夏に至ってからが本当に暑い夏なのだ。
暑さのピークは不確かだ。天気予報のお姉さんは、まだまだ暑さが続きそうです、としか言ってくれない。今が暑さのピークです!なんて迫力ある予報はやってくれないだろう。それも暑さが不確かゆえだ。
だから気がついたら夏が過ぎている。セミは鳴きつかれて、ひまわりも頭を垂れる。
いい加減にしてくれって思ったほどの暑さすら、終わりと言われたらそれはそれで切なくなる。どうせまた来年も嫌ってほどの暑さに茹でられるんだろうが、今年の夏の終わりは寂しくなる。
合わせて今年は、「平成最後の夏」っていうらしい。平成の夏が終わることにどれだけの価値と郷愁が詰まっているか定かではないが、まぁそれなりの節目であるのだろう。
平成生まれとしては何らかの感慨を抱くべきなのだろうが、普段の仕事において常日頃から、年号は西暦に統一して欲しいと思っているので平成の終わりに特に思うところは無かったりする。
森山直太郎の歌に「夏の終わり」というものがある。
聞いての通りどこかノスタルジーを感じさせる歌だ。森山直太郎が感じたようにやはり、夏の終わりは他の季節の終わりとは全く違うセンチメンタルがあるのだろう。
今年の夏は夏風邪にかからないでよかったなーとか、今年の夏は暑かったなぁ、なんていう過去形で夏を語る未来がもうすぐそこまで来ている。
常春の島とかに住んでみたいが、この夏の終わりの郷愁を感じられないなら常なんていらないなとも思ってしまう。盛者必衰と諸行無常の虜になっているらしい。
こんだけ夏を恋しく思うなんてみたいなこと書いておいて、残暑がすごかったりしたら本当に嫌な気持ちになるのだけれど。
むしろ夏を懐かしむことで夏から離れようとしている気がある。思い出にしてしまいたい。美しくしてしまいたい。暑いのはもう嫌だ。もう嫌なんだ......
時間で濾過をかけて夏の素敵なエッセンスだけを抽出して、秋に臨みたい。