自分探しのすゝめ
ちょっと前、大人になってゲームをしなくなったみたいな記事を書いた。下記参照。
あーゲームしなくなったなーなんて思っていたら、最近はたとまた気づいた。
野球を見ていない。
昔はプロ野球が大好きだった。有名どころの選手は9割は把握していたし、好きな球団、ヤクルトの選手あたりは出身高とかまで覚えていた。中学、高校、大学までプロ野球にそれなりの熱意を持っていた。
これに合わせて先述の通りのゲームだ。なにか、なにかを皮切りに趣味がなくなってきている。いや、削ぎ落とされてると言っていい。音楽を聴くことや、本を読むこと、ぱたぱたと文字をうって日記を書くことなんかはまだ残っている。
なにが皮切りかと考えて気づいた。
一人暮らしを始めてからだ。
実家にいた頃はどれもそれなりの興味と関心をささげていた気がする。
プロ野球はテレビでやっていたら必ず見ていたし、外出していても結果をネットで調べたりしていた。ドラフトなんて一年に一回の大イベントだった。ドラフト候補選手当人かのようにその日を待ったものだ。
ゲームも寝る間を惜しんでやっていた。実家ではコンセントは常に繋がれていたが、今ではコンセントには携帯の充電器が繋げられているのみだ。
何故か。
まず、そもそもテレビを見ない。時間を割こうとは中々ならない。ナイターの時間は晩御飯を作っているし、そもそも仕事をしてるかだ。
リアルタイムで見れるから見ていたし、その実感を伴って選手も覚えていた。だがしかし、受動的に見れなくなると能動的に見るまでもないかと思い始めた。否、意識するまでもなく離れていっていた。
プロ野球は自分の中でマストなものではなかったのだ。時々、本屋に行ったらプロ野球のダイジェスト本を見たりする。でも、浦島太郎状態になる。知らない若手選手、コーチ陣のシャッフル、衰えてきた名選手。哀しいほどに今が分からない。
ゲームはまだそこまで離れていない。絶賛、昔の感動を取り戻そうとしている最中だ。来たるスマブラ、来たるKH3、楽しみだ。
しかし、これらから分かることはこうだ。
生活環境が変わると、自分の興味関心の周辺の薄い部分は淘汰されていく。友人、家族に影響を受けていた部分、自分の根幹にまで届かなかった部分はどんどん削られていく。削ぎ落とされている感覚とは正にこのことだ。
逆に、根幹の部分は一人になろうと誰と暮らそうと変わらない。今残っている部分。どうやら、音楽、本、文章、が自分の根幹らしい。
自分探しの旅に出る、なんてことはよく聞く。しかし、自分探しをするならもっと分かりやすい方法がある。
それは一人暮らしをすることだ。ちょっとの間、一人暮らししてみれば何が本当の自分なのか、何が本当のお気に入りなのかきっと分かる。自分のようにいらないものからしなくなる、淘汰される。
アイデンティティに迷っているそこのあなた。そんなあなたには一人暮らしを是非オススメしたい。