うんこを漏らした二十歳のこと
※今回の記事はうんこに関する描写が多くあります。
不快な表現も出てくると思いますのでうんこネタが苦手な方はご注意頂く様に宜しく申し上げます。
本日お昼頃。猛烈な便意に襲われた。
社内でパソコンをパタパタとうっている時に奴は来た。
瞬間で身体が強張った。奴だ、これはうんこだ。そしてスピード感のあるやつだ。
これまで四半世紀に若干足りないくらい生きてきて、便意に襲われたことは何度もある。それらの経験によりうんこがどのくらいのスピードで肛門にたどり着くかは凡そ最初の便意のインパクトから推測することが出来る。
脳が警報を鳴らす。
うんこ警報発令。うんこ警報発令。
脳のハザードランプがけたたましく鳴り響く。瞬時に動く。先ほどまでキーボードに置かれていた手は既にトイレのドアノブを握っている。大便所が空いていることを瞬時に確認し、飛び込む。後ろ手でスライド錠をかけながら、お尻を半分露にさせる。そのままの勢いでズボンを完全に下ろし、お尻を便座に着地させた。
...間に合った。俺の勝ちだ。
こうやって便座に座り勝利の排便をする度に思い出すことがある。
あれは忘れもしない大学三年生の春。敗北の排便を喫したあの麗らかな春の日のことを...
あの日、自分は二日酔いと体調不良が重なりかなり参っていた。
20歳の誕生日を迎えたばかりの自分は喜びのあまり飲酒を繰り返していた。それによる二日酔い。それに体調不良も合わさり、史上最高のグロッキーを感じていた。
実家のソファの上でうなだれること数時間。一向に体調は回復の兆しを現わさなかった。
閑静な住宅街、平日のため家には誰もおらず、些細な音でも二日酔いの頭にガンガンと響くためテレビもつけていない。
静謐とした昼下がり。
生命の躍動を感じさせない空間の中で突然、激しい便意に襲われた。いつもなら便意のスピード感を瞬時に把握しトイレへと適切な速度で向かうところだ。しかしグロッキーな状態にあった自分は便意のスピードの判断を誤った。
ヤバイと思ったときには既に愛しきうんこちゃんが肛門近くまで訪問してきていた。
肛門付近でうんこの存在を感じ取り、流石の自分もソファから跳ね起き、トイレへと走る。しかし、我がうんこちゃんは肛門との逢瀬を止めようとはしない。愛はストップモーション。やめられない、とまらない。
現在地は未だ廊下。
トイレに駆け込む時間的余裕は既に認められないと肛門が告げる。
やるしかない。
手近にあった観葉植物の葉を引きちぎり、廊下に急凌ぎの便座を拵える。即座にズボンとパンツを下ろして腰を屈め、天井を仰ぎ見る。
まるで神に祈りを捧げるように。
主は降臨なされた。我が実家の廊下の真ん中に"ソレ"は鎮座されていた。いや、鎮座させた。
雄雄しくもどこか哀しさを漂わせるそのフォルム。それは宙を見つめ届かぬ星々に手を伸ばす哀しきモンスターを思わせた。
下痢ではなかったことが不幸中の幸いだ。しかも葉の上に綺麗に乗っている。ありがとう、パキラ。君が大きな葉っぱを持っていて本当に良かった。
若干の異臭、静まり返った住宅街、そして露になった下半身と時を刻むように揺れる男性器。それがその空間の全てだった。
自分で下した判断とはいえ、あまりの見慣れぬ状況に30秒ほど思考も体も固まる。そしてゆっくり状況を確認していく。
葉っぱ良し、ちんちん良し、うんこ良し。ん?うんこ?
指差し確認を繰り返す。そして気づく。
実家の廊下にうんこを漏らしてしまった、と。
まずい。今年で20にもなろう男がうんこを漏らした事も体面上で非常にまずいが、まずは廊下にうんこが鎮座していることなによりまずい。
そこからの行動は早かった。丁寧にうんこをサルベージしてトイレに流す。あのまるまるもりもりなうんこが一瞬で視界から消え去る。神だ。トイレの神様だ。ありがたい。
トイレの神様に感謝しつつ、丁寧にお尻を拭いてうんことの禍根を断つ。グッバイ、まるまるもりもり。
まだだ。パキラが必死のダイレクトセーブで受け止めてくれたとはいえ、廊下にはまだ若干の異臭とうんこの温かみが残っている。
トイレの消臭原を廊下に拭きつけ臭いを断つ。用法が間違っていると花王さんに怒られそうだが、今回ばかりはしょうがない。だってそこがトイレになったのだから。トイレにしちゃったのだから。
そうしてから廊下を雑巾で拭く。かつてそこにあったうんこの存在を、事実を、消し去れるはずもないのに、消し去ろうと必死に手を動かす。
悲しくなってきた。涙が、涙がこぼれそうだ。けど、自分がやらなければ誰がやってくれるというのだ。手前のケツは手前で拭かなきゃならない。辛くても苦しくても、自分のうんこは自分で処理しなきゃいけない。俺ももう20歳。大人になったんだから。
迫り来る悲しみを自尊心で必死に抑える。そうして何百回と廊下を拭いた。涙は決して流さなかった。
結局あれから廊下に漏らしたうんこのことは誰にもばれずに今に至っている。
あの日から自分は、うんこを漏らす事に対して相当の恐怖を持つようになった。自分が漏らしたうんこを処理することが、あんなに悲しいとは思わなかった。あんなに辛いとは思わなかった。
もう二度とあんな悲しみは味わいたくない。その思いが今日も自分をトイレへと走らせている。