OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

世は正にエロ画像大量消費時代!!!

〜大量消費〜

資本主義経済の発展による経営の大規模化によって、企業は大規模な設備投資を行い生産物の生産単価を下げることが出来、市場に安価な製品を投入できるようになった。そして消費者は、市場に溢れるあらゆる商品を安価に手に入れることが出来るようになり、物質的「豊かさ」を感じることが出来る。それと同時に大量消費には大量のゴミを発生させたり、安心安全が軽視されがちになるという社会的問題を抱えている。

 

VEROというアプリをご存知だろうか。

至って普通のSNSなのだが、自分の設定した範囲の人にだけ見ることが出来る画像を載せれるというちょっと珍しい機能がある。この機能がホモたちの間で大いにウケた。ちょうどついこの前失われたホモ共通SNSの大手である9モンのアンロック機能の穴を埋めるかのように登場した、否、登場させられたこの機能を使いホモたちが己の裸画像やハメ撮りを大量に載せ始めたのだ。

エロ画像の交換の用途で使う者、単純に己の身体を見せたいがために使う者。それぞれのホモ達の思惑が交錯し、現状、VEROはエロ画像が氾濫する素晴らしいSNSへと変貌を遂げている。

誰もが見たいエロ画像。しかし社会的には秘すべきエロ画像。その矛盾の穴を巧妙に突けるこの画像公開範囲限定機能はホモの背徳感を刺激していると考えられる。ちくしょう、VEROめ!なんて良いものを作り出してくれやがったんだ!ありがとう!個人的には声を大にしてこう伝えたい。だって見たいから。エロ画像見たいから。これはもう生存本能の叫びなので如何ともしがたい。

 

しかし、このVEROによるエロ画像の氾濫。嬉しい側面もあればあまりよくない側面も勿論ある。

エロ画像が氾濫することによって、当座の満足は得られる。ナニの満足は得られる。しかし誰も彼もが己の裸なり、ハメ撮りなりを公開してしまうこの現状には若干の違和感を覚える。

これは正に大量消費時代への突入なのではないだろうか。エロ画像大量消費時代だ。

物質的な大量消費は人々に豊かさを与える。安価で均一な商品が溢れることによって人々に選択の機会を与え、明確な格差はなくなる。

物なら良い。しかしこれをコンテンツ産業に当てはめるとどうなるか。エロ画像というコンテンツ。氾濫するエロ画像は一つ一つのエロ画像の思い出を、夢を薄めているのではないだろうか。

子どもの頃の今思い返すとなんでもないちょっとしたエロ体験がいつまで経っても忘れられなかったりする。何故か。それが希少なものであるからだ。希少なエロ体験はその人の思い出に強く色を残す。エロとは本来そうあるべきだ。誰にでも見せられる普遍的なエロではなく、一人一人にとってのプレシャスなエロこそがエロの本来の姿と言える。エロが社会的に秘されるべきという常識もこの考え方を尊重してのことに違いない。恐らく。多分。

右から左に流れるだけのエロ画像でどの程度の人の心を掴むことが出来るであろうか。それこそ都合よく消費されるだけである。あらゆるネタにされて終わり。これではエロ画像達も居た堪れない。

そして同時にエロ画像には夢があることを忘れてはならない。

ありったけの夢をかき集め 捜し物を探しに行くのさ

と言って始まるのは大海賊時代だ。夢にはロマンが詰まっている。そしてロマンは男たちを引きつける。ゴールドロジャーの宝というロマンが男たちを海へと駆り出たせたように、エロ画像にもそれと同等のロマンが詰まっている。

エロ画像の氾濫はそのロマンのインフレを起こす。ゴールドロジャーの宝がそこらへんの石ころと同価値だったら男たちはわざわざ危険を犯してまで海へと出るだろうか。いや、出ない。ロマンとは唯一のものでなくてはならないのだ。故に夢がある。価値がある。

価値が上がるにはやはり希少性が必要になってくる。大量にあるものには価値を見出しにくい。大量にあるエロ画像もこれと一緒だろう。あなたが公開しているエロ画像もその他大勢の中に紛れ、比較され、唯一のものではなくなってしまう。それはきっと巡り巡って自分を傷つけることになるのでなないだろうか。それはきっと悲しいことではないのだろうか。

 

メディアの発達によってコンテンツ産業にも大量消費時代が到来している。エロ画像なんてその急先鋒だ。物質的なものとは違って消費によって目減りすることはないのがコンテンツの強みだ。しかし、きっと減っているものは確かにある。エロ画像大量消費時代によって脅かされているのは一人一人の思い出や夢なのだと私は感じる。

 

 

ウィーアー! ~9人の麦わらの一味編~

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