OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

無限の彼方へさぁ行くぞ

最近、とんと悔しい思いをしていない。仕事もまぁまぁ順調で小さい失敗こそあれど、誰かと競って負けたとかで死ぬほど悔しい思いは最近していない。

物心ついた時から青春の終わりまで、ずっと柔道に明け暮れていた。大学になっても続けようと思っていたら、怪我でそれを断念した。あの時は相当に悔しい思いをした。成績こそ全国に名を轟かせるほどではなかったが、柔道に費やした時間、熱量、どれをとっても誰にも負けない自信があった。だからこそ試合の結果で負けたときは尋常じゃないくらい悔しかった。

むしろ最近は悔しさよりも惨めさが際立つことが多い。小賢しくなったことで努力をせずに物事を切り抜けることがおおくなってきたからだ。

 

足の先の爪ほども練習しなかった勝負に臨んで負けたところで悔しくともなんともない。負けることが分かりきっているからだ。学生時代、試験結果にドキドキするのは決まって勉強して望んだ試験だけだ。ちんぷんかんぷんで受けた試験結果なんてドキドキもハラハラもしない。それこそ惨めなだけだ。

真剣にやらないと悔しくもなれない、なんてのはよく聞く言葉だ。ぐうの音も出ない正論だ。しかし、真剣にやるってのは中々に難しいと最近思ってきた。学生時代のように、柔道時代のように目標が区切られていて、そこまで猛ダッシュするのは容易い。しかし社会人になった今、長期的な視点を持たなければいけない。その日暮らし、その月暮らしではやはり後々どん詰まりになるのは目に見えている。人生規模でどんな風に生きたいかを考え始めると途端に目印はぼやける。

 

ゲイなんてよりそれが顕著だ。いわゆる異性愛者にある結婚を初めとした人生の区切りが存在しない。となるとあとはどう生きるか、どう死ぬかみたいな話になってくる。

この長い人生は、恋人を添えるなり添えなかったりしても究極的に個人主義に尽くせる人生だ。良い意味でも悪い意味でも自分で自分を助けるしかない。自分で区切りをつけて頑張っていくしかないわけだ。

 

ボイジャーという宇宙探査機をご存知だろうか。宇宙の果てまで無限の旅をしている人工衛星。今も猛スピードで地球から遠ざかっていっている。

何故ボイジャーは無限とも思われる宇宙の闇の中を進むことができるのか。記憶が正しければ、ボイジャーが進むシステムはこうだ。ボイジャーは惑星や恒星の重力を借りてビュンビュンとスピードを上げていく。次はあの星の重力、次はあの星といった具合だ。ボイジャー自体に意思はないが、それはまるでマイルストーンを立ててそこまで全力疾走する様に似ている。

こう生きたいなぁ、なんて漠然と思ってみたりするけれどそれは遥か彼方にある星を目指すようで、具体的な事象はいつまでたっても掴めない。結果、どの星の重力も掴まえられず一向にダッシュできないまま終わっていく。

ちょっと前まであった区切りがなくなって目の前にあるのは無限の星空だ。だから当たり前にやっていた努力をしなくなって、悔しいって思いからちょっと離れている。仕事とプライベートの充実を社会から迫られて、どっちつかずのノー努力人間の無重力空間にはまりかけている。

じゃあ今死んだとして自分は悔しがれるだろうか。分からない。

死ぬときには目いっぱい悔しがりたい。次の星は見えてるんだ。あの星で加速してまだまだ向こうの星にいけるんだ。そんな思いをもって死んでいきたい。それが自分にとっての良い人生だろう。

なのでとりあえずは次の星を見つけるところから始める。近くの星を掴んで走って、ボイジャーのように宇宙の果てに行ってみたい。