おしっこおしっこおしっこ!
おしっこがしたい。
今途轍もなくおしっこしたい。じゃあすればいいじゃん、と思われるかもしれないが出来ない状況にある。あと20分くらい我慢しなければいけない。どのような状況にあるかはこの際、各々の想像に任せる。
なぜならおしっこがしたいから。どう説明しようなんて考えていられない。状況は混迷を極めているのだ。
おしっこの気を紛らわすためにスマホのフリックを続け、このブログを書いている次第である。指を止めたらおしっこの波が防波堤を飲み込み現実世界を侵食する。具体的に言えばズボンを侵食する、びちゃびちゃになる。止まったら死ぬ。キアヌ・リーブス感。なんともスリリングだ。
体の水分のことを考えるとアクエリアスのCMを思い出す。だいぶ前のアクエリアスのCMだ。
いまや中日に在籍している松坂大輔がメジャーでスライダーを武器に快刀乱麻の活躍をしている頃、彼はアクエリアスのCMで体内の水分が2%失われるとパフォーマンスは劇的に低下することを説いていた。
対して自分はおしっこを我慢しすぎて、体内の水分のほとんどを放出したい気分だ。
体内の水分の2%とはどのくらいなのだろう。今おしっこを出したら2%どころじゃない量の水分が出る気がする。それぐらい溜め込んでいるってことを言いたかっただけだ。おしっこの話にアクエリアスを引き合いに出して大変申し訳ない。アクエリアスファンには謝罪しなければいけない。
しかし、おっしこはしたいというのに喉は渇いている。そういう時、皆さんもないだろうか?
こんなに下腹部には水分が揺蕩っているのを感じているのに、体は乾いているという。矛盾もいいところである。
しかし、今水分を入れる訳にはいかない。ダメ押しもいいところだ。水分を口から入れることで、ところてんのように下腹部から水分が出てきてしまう気さえする。そんなはずはないのに。
おしっこしたいのに喉は渇いているという事実は中々どうして辛いものだ。
スマホを弄る指や文字を理解する脳がカピカピになっていくのを感じる。水分の出口入り口に違和感を感じて仕方ないのだが、自分の事は自分が一番知らないとよく言う。
ならばこの現象も自分に御せるものではないのだろう。水分の揺蕩いに身を任せ、大きく腕を投げ出そう。成るようにしか成らない、そんな生き方をしていこう。
やかましいわ。指の赴くままに書いていたら、おしっこを漏らす方向にシフトしてしまっていた。
いつだって自分を律するのは自分なのだ。鋼のような精神と鉄のような意志でおしっこを我慢するべきだ。もはや恥や外聞は関係ない。
己に克つ心。克己。刻苦精励。それだけだ。それだけなのだ。全ては己に収束する。仕事も遊びも人生も、おしっこでさえ。おしっこを我慢することは森羅万象全てに通ずる。やってやろう。やってやるしかない。
そんな事言っていたらもうすぐおしっこが出来そうだ。後の結末がどうなったかは、これもまた各々の想像に任せよう。