OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

737,430日目の決意

明けましておめでとうございます。明けましたね。明けましたか?年末からここのところ寝てばっかりだったので、年が明けた気が全くしておりません。大丈夫ですか?自分みたいに明けてない人、いませんか?
 
そんなこんなで新年が始まり仕事始めの1日目の1月6日。
新年の始まりっていう区切りはなにもしていなくてもそれなりに気持ちを新たにさせてくれるから便利である。
12月31日から1月1日を迎えた自分と11月30日から12月1日を迎えた自分、そこには同じ1つの夜を越した自分があるだけなのに前者のほうがなんとなく気分も新たに1月1日を迎えられたことを喜んでいるんだからおかしな話と言えばおかしな話である。
 
人間が生まれる前から連綿と続いていた世界のリズムってやつに後から生まれた人間が適当に枠を作ってそれを自分たちのリズムとしてしまった。それが暦ってやつだ。
だから、勝手に置かれたハードルを飛び越えて新たな気分になっているおめでたいイベントが正月ってやつなんだろう。
 
しかし、人間は区切りがないと頑張れない生き物であることも確かだ。もしこの世に暦ってもんがなくて、今日という日がD.C737,430日目とか呼ばれていたら恐怖を覚える。
いつまで続くか分からないこの世界において今日は737,430回昼と夜を超えた日。こんな果てしない数字を見せられた日には生まれた瞬間に自殺してしまいそうだ。
 
果てしないことに恐怖を覚えるのが人間の性だ。だからどっかの優しい人が適当に暦ってもん作って人々に受動的な区切りを与えた。ありがとう、どっかの優しい人。
そんなこんなで今年も暦的な区切りを迎えた人類。あまりに勝手にそして盛大に区切ってくれるものだから、みんなこぞって気持ちも新たにするのも当然だろう。
 
ここで疑問に思うのは、じゃあ暦に依らない、受動的ではないそれぞれの人生の区切りってのはどこでつけたらいいのだろうか。みんな人生を何で区切っているのだろうか。誰かと付き合ったり別れたりした日だろうか、何かを好きになったり飽きたりした日だろうか。
果てないことを恐れる人間が自らの人生を区切り決意を新たにする瞬間とは、一体いつなのだろうか。
 
なんだか大仰に書いてしまったが、これは人それぞれの無意識下に必ずあるものだろう。一般の多くの人は結婚とかがそうであろうし、学生なんかは卒業が区切りとなるだろう。
結婚も卒業も無い社会人ゲイである自分としては、どっかで区切りを決めないと自分の人生がのっぺりとしたものになっていってしまうことだろう。それは怖い。自分の人生を果てなく無為に消費していく恐怖がそこにはある。
 
こういうのが上手い人は自分の属性が何であろうと、しっかり区切っていけるのだろうか。それぞれがそれぞれにしている区切りと決意。自分もいずれしていくことになるのであろう。明日、明後日ではないがいつか、必ず。