浮気の定義の境界線上のゴリラ
少し前に大学時代のゲイの友人と飲みに行った。
本題に入る前にまずこの友人について説明しておこう。年齢は自分と同い年の24歳。大学時代の友人と言っても彼と自分の大学は違う。彼は名古屋大学経済学部卒の秀才。お互いが21歳の時にあるイベントで知り合った。
ちなみに彼は事あるごとに低学歴を下に見る生粋の学歴厨。更にちなみに自分は地方私大卒。彼とはシンプルに馬が合わないが、なんだかんだ同い年の縁もあり時々は飲みに行く程度の仲だ。
顔は穏やかなゴリラ。というかゴリラ。ゴリラ・ゴリラ・ゴリラ。
その彼が「ナイモンに登録した」と飲みながら話した。ナイモンとはゲイが使う出会い系アプリだ。まぁ皆知ってるか。
彼は4年だか5年だか付き合っている恋人がいる。だが彼は浮気や出会い系とは縁遠いタイプだと思っていたので、そのまま続きを促すことにした。
彼の話は以下の通りだ。
長い付き合いの恋人がいる。恋人との関係も良好でこのままパートナーシップなんてものも考えている。しかし俺は今の彼と付き合った以外に男を知らない。このまま今の彼と一生いるとしても、少しは他の男というものを知っておきたい。だからナイモンに登録した。
「はぁ?いやいや...」である。隙あらば学歴の高さをひけらかし、お得意の「経済的価値」というクロス軸のみで万物を分析せしめる才子の男も、結局は性欲ゴリラへと回帰してしまうのか。草葉の陰でアダム・スミス先生も泣いてるだろうよ。男の性欲を否定する気はないが、その性欲を正当化しようとしているのがなんかムカつく。単純に「オレ、オトコダキタイ」と言え。森の猩々みたいな顔しやがって。
そんな事を言うと
「ちゃうねん。」と彼の反論。
ちゃうらしい。前のめりになった身体を戻して続きの話を聞く。
彼以外の男とセックスはしたくない。だが、「俺は彼以外の男を知っている!」という確信が欲しい。だから俺はその条件を満たす”究極の遊び”を実行した。
なるほど。軽はずみに浮気するような思慮の浅い男ではないとは思っていたので、この言葉にひとまずの納得をする。しかし問題は彼の言う”究極の遊び”である。
「ナイモンで知り合った人とクルージングバーに行った。」
クルージングバーがどの程度メジャーな言葉か分からないので、ここでもまた説明を挟ませてもらう。クルージングバーとはお酒を飲みながらエッチなことが出来るバーである。要はハッテン場のお酒飲める版だ。詳しくは各自で調べてくれ。
説明が必要な単語が多くてさっきから文が進まない。ゴリラはゴリラらしくバナナ食ってうんこでも投げておけばいいのに。それなら説明も全く必要ない。
話を戻すと、性的関係を結ばずに性的な男を知る場所としては、性的な欲望が濃縮されているかつそれが自らの選択によって還元するかしないかを選べるクルージングバーという場が最も適しているとロジカルに彼は考えたらしい。え?理解できます?この話。俺は全く理解出来ませんでした。
「そこで何したんだ?」
「一緒に行った男が他の男とエッチなことしているのを酒飲みながら見ていた。」
完全に行動が常軌を逸している。普通にバーでも行って他の男と交流するのではダメだったのだろうか。映画でよく見る発狂した金持ちの老人と行動が一緒だ。金で買った娼婦にセックスをさせて、それをブランデー揺らしながら見ているタイプの男だ、こいつは。
というか、いくら性的接触が無かったとはいえここまでやっておいて身の潔白を証明出来るのだろうか。
浮気の定義なんてものはカップルにおいて千差万別で、他の人とセックスするのはOKというカップルからお風呂一緒に行くのもダメといったカップルまで様々だ。ここでそんな不確定でセンシティブな定義を論ずるのはやめておくにしても、彼のこの行動はどうだ。
恋人がナイモンに登録しているのを見つけたとする。「ごめん、気の迷いで...」なんて言うのはまだ納得もできよう。しかしこの男の場合は
「大丈夫、浮気はしていない。一緒にクルージングバーに行った男が他の人とエッチなことするのを酒飲みながら見てただけだから」
という返答が返ってくるのだ。自信満々のゴリラ顔で。浮気の有無の前に相対する男の倫理観や人格の方に気を取られる。ここで予想される恋人の反応は「浮気なんてサイテー」ではなく「気持ち悪い...」である。余韻を残すタイプの軽蔑。
どこからが浮気でどこまで浮気じゃないか。心が揺れ動いたら浮気なのか。身体を交えたら浮気なのか。ほんとに人それぞれである。彼のカップル間ではどうなのか。他人が立ち入ることではない。
まぁ、でももしこれが恋人の怒りに触れた場合は自分も一緒に謝ってやろう。彼はおかしいところはあるが、基本的には頭が良く気の良い人です、と。仲直りの後はバナナでもあげて欲しい。