OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

お前にしか出来ない面白い話をしてくれ

自分がひねくれ者であることは一切の疑いようがない。

人と同じことはあまりしたくないし、あけすけな明るさやポジティブには思わず恥ずかしくなる。更には、自分より楽しんでいたりテンション上がっている人を見ると何故だか少しトーンダウンしてしまう。

そういう症状がある自分は明らかにひねくれ者であるし、世の中を斜めから見ていることを否定できない。

 

思春期にはこのひねくれ者体質で大いに困ったものだが、最近は自分の中でも折り合いをつけて上手く社会に適合していこうと必死である。

このひねくれ者体質がいつ頃から表れたかを問われれば、その答えを容易に思い出せるエピソードがある。

 

 

小学生の時のディベートの時間。テーマは「面白い話よりも悲しい話の方が考えるのが難しい」みたいな感じだった気がする。

ディベートなので当然賛成派と反対派に分けられる。僕は反対派に分けられた。個人の意見としても「面白い話の方が難しい!」と思っていたので少し嬉しかった。

 

しかし、結果から言えば賛成派がこのディベートの結論となった。

「面白い話はふざければ誰でも言えるから」という意見を学級委員長でもあり口が達者な小倉さんが発言したことにより、大勢が決まったのを覚えている。

面白いことはふざければ誰でも簡単に言える、要はうんことかちんことか言えばいいんでしょう。端的に言えばこんな意見が出て皆んながそうだそうだと賛同したのだ。

 

今になって思えば、「いや、小倉さん全然面白くないやん」と反論すれば良かったなと思うのだが、当時の小倉さんの圧と言ったら小学生の僕では到底太刀打ちできるものではなかった。いわゆる優等生風ながらも口が達者で声の大きい女の子、それが小倉さんだった。

 

ある時、教室のガラスが割れた事があった。その時に率先して「みんな!危ないから離れて!」と言うのも小倉さんだった。

小倉さんの覇気に気圧された僕たちは「ここは小倉さんに任せておこう...」と小倉さんの思惑通りに無能な同級生を演じるしかなかった。

冷静に考え直すと小倉さんがガラス触るのOKで僕たち男子がダメっていうのもまったくもっておかしいのだが。別に小倉さんは危険物乙4免許を持っている訳ではない。

 

しかも小倉さんは

「これは大変なことになったぞ」とか

「一瞬の油断が死を招くぞ」

みたいな深刻な顔つきでガラス処理をするものだから、ガラスを割った子が凄い悪いみたいな空気になってしまう。

そうして罪悪感をバキバキに煽ったところで、割った本人がせめてもの償いでガラスを拾うのを手伝おうとすると

「危ないから素手で触らないで!」

なんて牽制するのだ。

これだ。ここが小倉さんの悪いとこだ。もちろん小倉さんは素手なのにだ。

こんなものは波動拳を打ちまくって地上戦を嫌がった相手を昇竜拳で落とすのと同じくらい狡猾なやり口だ。ずるいよ、小倉さん。

「まだ小さいの飛び散ってるかもしれないから気をつけて!」

じゃないんだよ。俺たち上履き履いてるから、小倉さん。

 

おっと、話が逸れてしまった。十何年越しに思い出した小倉さんへの敵意から余計な話を書いてしまったようだ。エピソードトークの途中に更にエピソードトークを挟むんじゃないよ、と怒られてしまう。

話を戻すと「面白い話はふざければ誰でも言える」という意見に当時の僕はものすごくショックを受けた。

僕は面白い事を言うのが好きだったし、面白いと思われようとして生きてきたからだ。

お前のやってる事は誰でもできる、その程度だ。と言われているような気がしてならなかったのだ。

 

この経験はトラウマとなり、以降子どもながらに単にふざけて笑いを取る連中に素直に笑えなくなってしまった。

子供ながらボクはキミたちとは違うと、そういう連中とも距離を置きたくなったし、お笑い番組ではオーバーアクションでふざける笑い、人が叩かれたり、水に落とされたり、大声で騒いだり、皆が笑うべきとりあえず明るくふざける演出にも冷めた気持ちを抱くようになってしまったのだ。

これが僕のひねくれ者の始まりだったように思う。

 

それを今まで引きずりもう今年で25歳だ。そんな僕にも最近、甥っ子ができた。子どもらしくうんことかちんことかで笑う甥っ子であるが、それを見て俺もバカだなぁと一緒に笑っている。

「レベルの低いお笑いは...」

なんて言いそうになるが、結局そんな意地を張ったところで何者にもなれなかった僕としては、人と同じようなノリで友達を増やしていった方が良いことは分かっている。けど、僕は甥っ子に言いたい。

「チンコを単純に出すだけじゃダメだ。一工夫して出しなさい。例えばこんな風に...」

 

ひねくれ者であり続けて何も得れなかった自分ではあるが、

「そんなの誰でもできる」

なんて言われないように甥っ子には育っていって欲しい。