OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

【初心者向け解説】発展場攻略

2022年も3月の中旬を迎え、春ですねと言いたくなるような暖かな日差しが覗える今日この頃、皆様はどうお過ごしだろうか。
私はと言うと、このはてなブログでの記事も久しぶりのものになるが最近はnoteでも日記の投稿を主にしているのでnoteの方読んでくれれば大体の近況は書いてある。以下にリンクを貼るので読んでくだぁさい。
https://note.com/omochinskou

 

春といえば出会いと別れの季節であり、春なので失うものを選んでくださいと迫られる季節でもある。社会人も長くなると分かってくるが、春は得るものよりも失うものの方が多くてあと花粉症とか年度末の激務とか、もう、春、嫌!となってしまう。しかし日本人にとってあらゆる節目は春であり、春からの新生活に期待を持っている人も少なからずいるだろう。今年の4月からは成人年齢の引き下げによって18歳からいわゆる法律上の「大人」であり、おいおい誰が大人になりたいって言ったよ、大人になれない僕らの強がりを一つ聞いてくれよと不満を口にする18歳の皆さんもいることだろう。しかし、大人になるってのは悪いことばかりでもない。悪いことのほうが実は多いのだが、少しはいいこともある。それが18歳になれば発展場に行けるということである。
渋谷のJK100人に聞いた「18歳になったら発展場に行ける」って知ってた?アンケート結果
知ってた・・・1人
発展場ってなんですか?・・・99人

 

そこでこれから18歳になる人に向けて少しでも役に立って欲しいという思いを込めて、今回は「【初心者向け解説】発展場攻略」を書いていきたいと思う。私も経験したことだが、抑えきれない性欲を胸に発展場に行こうと思っても最初はやはり慣れない場、どうしても恐怖心で足が遠のいてしまうこともあるだろう。しかしこれを読めば発展場が丸裸!丸裸好きの18歳に向けた必読バイブル間違いなしなので是非読んで行ってほしい。

 

・入店
最初の関門、入店である。まず料金システムとか分からないし、手続きとかもあるの?と思っているそこのあなた。

 

あります。

 

当然発展場もお店なので料金を払わないと入店できません。高校生の頃アプリで知り合った汚いおじさんとの公衆便所でのSEXに慣れた18歳の皆さんには驚きだろうが、屋内でのSEXは大体お金がかかるものだ。ちゃんと入店時にはお金を払いましょう。料金とかはお店の人に聞くかHPを見て調べて欲しい。もう大人なんだからなんでも人に教えてもらえると思ったら大間違いだ。君の持っているその親が料金を払ってくれているスマホは9モンとモンスト以外も出来るってことを覚えておこう。あとはどこの発展場も若いと入店時の割引があるので年齢が確認できる物を持っていくといいだろう(涙ばかりの攻略要素)。

 

・着替え
受付を済ませたら更衣室で着替える。更衣室の場所は人の流れに沿っていけば大体の場所は分かる。人の流れで場の空気を読むってのは「大人」に必須のテクニックだ。受付時に館内着を渡されると思うのでそれに着替えればいい。発展場は日よっては、褌デーだとか競パンデーだとかドレスコードを求められる日があるが、スタンダードな発展場を求めるならそういう日は避けたほうが無難だろう。私もよく知らない。
SEXのポジションによってロッカーキーのつける場所を変えるというルールもある(タチなら左手首とか)。こういった場の仕来りは大体館内のどこかに掲示して示されているのでそれを見て欲しい。分かんなかったら店員に聞こう。手なりで仕事しているおっさん以外、店員は優しい。

 

・SEX
着替え終わったらいよいよSEXだ(お風呂やシャワーなどある場合は体を清潔にしよう。自分は臭いのが好きだからと言って身体を洗わない行為は刑法で禁じられている。)とりあえずは相手を探そう。

初めての発展場でウロウロとしてみたい気持ちもあるだろうが一旦落ち着こう。キョロキョロとしていると好みでもない変なおっさんに声をかけられて流されるままにベッドイン、そうして狩られる場合がある。これが右も左も分からぬ初心者を狙う初狩りおじさんと呼ばれるモンスターであり、休日の発展場には高確率でポップしている。あくまで自分は狩る側であって狩られる側ではないと心に刻んでおこう。
右も左も分からずSEXする場所も分からないだろうが、道行く人に尋ねるのは止めた方がいい。もし聞こうものなら
「あ、あの…SEXする場所はどこですか?」
「あ〜ん!?SEXする場所〜〜?!おい、聞いたか!?SEXする場所だってよ〜〜!!」
「ギャハハ!僕ちゃん、ママは一緒じゃないんでちゅか〜?」
「おい、新人をからかうもんじゃない。すまなかったね。俺はジョン。皆んなにはビックジョンと呼ばれている。発展場は初めてかい?発展場にはSEXする場所なんてお行儀の良いものはないぜ。皆んなそこら辺でしてる。」
なんていう騒動に巻き込まれかねない。休日の賑わう発展場はデトロイトの裏路地より治安が悪い。初心者ムーブをかまそうものなら、一瞬でカモにされ、良くて死、最悪ケツにちんぽをぶち込まれ廻される可能性がある。

 

頼れる人も経験も知識もない状態でSEX相手を見つけることなど途方もないことのように思えるが、「大人」になるという事はこういう事である。ペアを作ってくれた体育教師は大人の世界には存在しないし、学校という箱庭はなく、あるのはただ広く果てしなく続く人生という荒野のみである。
同級生と楽しくプレイしたマリオパーティーみたいに、キノピオのフィニッシュ!という掛け声での幕引きもなく、敗者はワンワンに追われるなんていうオチもない。人生という荒野には、明確な終わりも敗者も存在しない。あるのはただ自分の意識。終わった…と思われる逼迫感と負けた…と思い込むネガティブ思考のみである。

 

しかし、経験も知識もない事はマイナスに働くばかりではなく世の中には「若専」と呼ばれる若年層を好む人達も存在する。そう言った人達に目をつけられればあれよという間にSEXに漕ぎ着けることも可能であろう。「若専」もあれば「老け専」と呼ばれる高年齢層のみに好意を向ける層も存在するのでそういった人達に恋をするのは止めた方がいい。茨の道どころかデスロードである。
年上好きを公言している人でもチャンスが全くないと言ったらそうでもない事もある。
年上好き(34)「年上のお兄さんに誘惑されてぇな〜」
Q.貴方の年齢で年上となると40歳くらいからですか?
年上好き(34)「いや、24歳くらいの頼り甲斐のあるお兄さんが一番好ましい」
Q.?????????
こういった事もままある。結局のところ人間というのは若いほど魅力が多く、性対象に入りやすいので持ち前の若さでガンガン動いていくのがいいだろう。発展場に意中の人がいればとりあえず声をかけてみる。それが無理であれば待ちに徹し、来るものの中から選別をかける。そうすればいわゆる売れ残るなんて事は殆どないはずだ。

 

・退店
SEXも済ませ満足したならさっさと帰った方がいい。待合でテレビをだらっと見てるおっさんに賢者タイム中に喋りかけられ鬱陶しい思いをすることになるからだ。
退店時は受付に鍵・館内着を返し、速やかに帰宅しよう。悪い大人・友達に飲みに誘われてもお酒は20歳になってからである。
あとは発展場に行った事は他の人に話さない方が賢明だ。初めての経験に浮ついて人に喋りたくなってしまうが、発展場に執心してるのを知られるのはデメリットの方がでかい。理由はその内分かる。大人はめんどくさいのである。もし他人から「発展場行ったことある?」と聞かれても、「終電逃した時に泊まったことしかない。」と言い通すと良い。

 

以上が「【初心者向け解説】発展場攻略」の全てである。ここまで読んだ人なら分かるだろうが、私は全く発展場に詳しくない。完全にnoobである。しかし、数回しか行ったことない私でもなんとなくその構造を把握できる分かりやすい施設とも言える。要は頭空っぽにしてSEXする場所です。分かりやすい。皆んなも節度を守ってレッツSEX!
以上ありがとうございました。

サブカル系ゲイ診断

この世には「サブカル系男子」というカテゴライズをされた男性が存在する。そしてゲイの世界にも同様にこの文化は存在し、「サブカル系ゲイ」という枠組みのゲイは確かにいるのだ。
しかし、ゲイというのは健康的で活動的な男を好むのが事実。「俺はサブカル系ゲイなんていうめんどくさい存在じゃない...!」と思いたいものだが、実際には潜在的サブカルゲイ男子はゲイ全体の60%を超えるとの研究結果が出ているとのこと。

「身体を露出するのは躊躇うけど、Twitterで心の内面をむき出しにするのはたまらねぇ...」


とか考えているそこのあなたは、「サブカル系ゲイ」の兆候が現れている。そこで、私が独断と偏見で「サブカル系ゲイ」診断チェックリストを作ってみましたので是非お役立て下さい。この診断で自分がサブカル系ゲイの素養が高いと分かっても悩むことはありません。サブカル系ゲイも顔がよければモテます。顔が悪かったらただのめんどくさいゲイです。泣きましょう。
では早速どうぞ。

 

1.痩せているor太っている Yes/No

 

2.オーバーサイズの服を好んで着る Yes/No

 

3.ドクターマーチンのサンダルを履いている Yes/No

 

4.酒に酔うと自分の弱みを話したがる Yes/No

 

5.酔ってもいないのに酔ったふりをするのが好き Yes/No

 

6.病みツイをしたことがある Yse/No

 

7.病みツイをした後に「かわいそう...」「俺ならそんなことしないのに...」的なDMを貰ったことがある Yes/No

 

8.アルプラゾラムなどの精神薬系の包装写真をTwitterにあげていいねを頂いたことがある Yes/No

 

9.女児向け・男児向けアニメが好きだ Yes/No

 

10.単館上映系の映画を見に行ったことがある Yes/No

 

11.青土社の『ユリイカ』、『現代思想』を購読していたことがある Yes/No

 

12.中央線沿いに住んでいる Yes/No

 

13.荻窪に行きつけのカレー屋さんがある Yes/No

 

14.『AKIRA』が好き Yes/No

 

15.外山恒一の著作を持っている(アナーキーな反体制思想を持っている) Yes/No

 

16.知人の自主製作映画に参加したことがある Yes/No

 

17.シーシャを吸ったことがある Yes/No

 

18.一眼レフカメラを持っている Yes/No

 

19.何気ない日常の中で過ごす友人へおもむろに「撮らせてよ...」とか言いながらカメラを向けたことがある Yes/No

 

20.SEX中に合意の下で相手の首を絞めたことがあるor絞められたことがある Yes/No

 

21.首を絞めるor絞められている行為の中に愛を感じたことがある Yes/No


22.寂しさを埋めるためにキャス、若しくはスペースを開いたことがある Yes/No

 

23.Twitterのアカウントを複数持っている Yes/No

 

24.無印の化粧水、乳液を使っている Yes/No

 

25.コンドームをつけたことがない若しくはつけると萎える Yes/No

 

26.ボーカロイドの曲が何曲か歌える Yes/No

 

27.雨が好きとかTwitterに書いたことがある Yes/No

 

28.めちゃくちゃ普通に浮気する Yes/No

 

29.失恋相談された相手を喰ったことがある Yes/No

 

30.めちゃくちゃ性欲が強い Yes/No

 

Yesが0~10個のあなた
サブカル系ゲイではないです。WANIMA聴きながら筋トレしてプロテイン純米大吟醸で割って飲んで寝ましょう。

 

Yesの数が11~20個のあなた
サブカル系ゲイの予備軍です。多少のサブカル加減はモテを加速させます。一眼レフカメラでハメ撮りするなどしてバランスを取りましょう。

 

Yesの数が21~30個のあなた
モノホンのサブカル系ゲイです。「SEXとドラッグとプリキュアが大好き」とか言っている場合ではありません。しかし、心の鬱屈、情けなさをエンターテインメントに仕上げる技術はぴか一ではあります。心の鬱屈の50%は乾布摩擦で解決するので毎朝乾布摩擦をしましょう。

 

 

以上、どうだっただろうか。サブカル系ゲイよりもスポーツマンゲイが持てるのが男色の世の常。しかし自分らしさが強調されるのも最近の流行りでもある。PUIPUIモルカーが好きだっていいじゃない、リングフィットでダイエットしてもいいじゃない、それぞれの王道に向かって先頭を走る人間の顔は例えサブカルであろうとカッコよく映るものだ。元の顔が良ければ...な!

 

以上、ありがとうございました。

誰か俺とエロ本買いに行ってください

昨今の在宅勤務の増加により企業規模や個人規模において様々な問題が発生している。生産性の低下、人事評価・人材育成の難化、商談機会の減少、セキュリティ上の課題や在宅勤務用のパソコンやタブレットの需要拡大による世界的な半導体不足にまで問題は及んでいる。このような諸問題に並行して、私の在宅勤務にも一つ重要な問題が起こっている。


それは、在宅勤務中暇なときにするオナニーのネタが枯渇してきているという事である。


在宅勤務中に手が空いた時、というか暇がある時はそれ即ちオナニータイムでありこれは男子万人に共通した認識ではあると思う。そして在宅勤務ってのはやはり社内にいる時とは違い、ちょっとした隙間時間に掃除をしたり洗濯したりと隙間時間の有効活用が行えるのだ。

オナニーも隙間時間の有効活用にはぴったりの代物であり、私も在宅勤務時は一日5シコりはしている。

 

そうなってくるとやはり起こりうるのがオナニーネタの枯渇。いくら日本のAVのサンプル動画の出来が最高のものとは言え、何回も擦っていれば(ダブルミーニング)やはり飽きてしまう。Twitterのハメ撮りもグッドでイナフだが、中国人が靴下食べさせてる動画ばかりが目立ちこちらもやはり飽きてしまう。かといってエロ動画を何本も買えるほどお金持ちでもないし、購読しているOnlyFansのあいつは全然ちんちん見せねぇし、Veroもやりたいけど等価交換を考えると踏ん切りつかないしでと に か くオナニーネタが枯渇しているのである。


そしてこの問題に対するアンサーとして私の脳内コンピューターをピコピコさせた結果はじき出された答えが「エロ本を買おう」というものであった。


古来から日本のエロ文化を支えてきたエロ本。その作りは実に合理的で、エロ本はいわゆるアンソロジーコミックとして様々な作家が様々なエロを寄稿している。

それにより例えば一つのエロ本に5つのエロ漫画が載っていたとしたら、最低でも5シコりは確保されていることになる。そして私は一つのエロに対して最低3回は擦る(ダブルミーニング)ので、一冊のエロ本で15シコりは確保されていることになる。しかもそのエロ漫画がドエロ漫画だったりしたら、私のシコりは天文学的数字に及び、それはやがてこの国の運命を大きく動かす事になり...?(韓:95分)


このようにエロ本のシコリニシティー(※シコレル数値のこと)はかなりの高パフォーマンスであり、更にその値段も映像作品に比べたらそれなりに安価である。つまりエロ本はこれからの在宅勤務におけるマストバイ、言わばバイブルであることは疑いようのない事実なのだ。


そして私が目をつけているエロ本がこちら。

 

予約販売 :: BOLD 10【巨根デブVS短小デブ】(予約販売)


デブ専ゲイ向けアンソロジーエロ雑誌「BOLD」なのである。

めちゃくちゃニッチな世界で有名となっているこの雑誌、欲しい...!と思い立ったが吉日さっそく電子購入をばちこり決めようとしたところ、なんとこの雑誌、実店舗での現物販売のみなのである。

つまり、このドエロ雑誌を手に入れるためには実際の店舗(BIGGYM、ガチガチのアダルトゲイショップ)に行き、店員にお会計してもらわねばならないのである。

デブ専向けゲイドエロ雑誌を、現実で買う?!おいおい、薬局でローション買うのすら躊躇してSEXを水に流した俺にそんなことが可能なのか?!

ここまでが前置きです。あとは俺のエロ本買う葛藤が続きます。見ても見なくても実際問題無し。ではレッツゴー。

 

 

まず、私がエロ本買う人を見るときに思っていたことを書く。

簡潔に言うと「一人でエロ本選んでる姿はめちゃくちゃ恥ずかしい」ってことだ。誰かとエロ本を楽しんでる姿は良いと思う(誰かとエロ本を楽しむことがあるのかという疑問点は置いておいて)。「このエロ本の表紙めちゃくちゃエロくな~い?」と姦しい女子、「これクソエロイ」と7文字で感想を伝えきる男子、いずれもええと思う。

 

だが、一人でエロ本をじっくりと選ぶのは非常に恥ずい。おっさんであればあるほど恥ずかしい。

エロ本コーナーの前をゆっくりと歩きながら、気になったエロ本を手に取り、まずは表のパッケージを見てどんな趣旨のエロ本なのか誰が描いているのかの情報を得る。そして更に気になったエロ本をパラリと開き、簡単に内容を一瞥。

一番恥ずかしいのがこの瞬間である。この動作の間に本人は「(うわ、このエロ本くっそエレ~)」と超原始的なわんぱく感情を内に秘めているのにも関わらず、実際は「(エロは生きていく上では欠かせないものですから)」と訳知り顔をしているのである。

この矛盾、これがエロ本を実際に買う際に発生する超恥ずかし案件なのである。


澄ました表情でエロ本を選んでいるのは他者から見るとめちゃくちゃ恥ずかしいのだ。だからと言って「うわこれエロ~」と言いながら本を選ぶのもなんか嫌だ。なんか嫌というより普通に怖い。じゃあ、雑にエロ本を手に取って雑に会計をすればいいじゃんという話になるのだが、それで失敗した過去(エロDVD)があるのでそれすらも躊躇される。

 

ここで一つシミュレーションをしてみよう。エロ本を限りなく恥ずかしがらずに買えて限りなく内容を吟味出来る私なりの理想プランだ。


まず入店。カランコロンと入店の鐘が鳴る。おいおい、俺はゲイだぞ。日陰者だ。なのにこんな入店をけたたましく知らせてどうすると怒る。怒るだけでなにかするということはない。


とりあえずエロ本コーナーへと向かう。この時俺はたまたま入店したゲイアダルトショップにたまたま気になるエロ本があったぜ、という雰囲気を醸し出しながらで向かう。そしてエロ本を雑に選ぶぜ、といった表情もしている。雑に選ぶというより雑に手に取るぜといった感覚が近いか。あくまでクールにエロ本コーナーと相対し、とりあえず全体を一瞥。適当に表紙で判断して雑に真ん中の方の2冊を手に取る。

その瞬間、端の方のエロ本に「複数プレイ」の文言が目に入る。私は複数プレイものに目がないのだ。ただでさえエロすぎるゲイセックスにちんちんが増えればそのエロさは指数関数的に増大していく...!


私は一旦エロ本を手に取るのをやめ、冷静を装い、何事もなかったかのように店内を巡回しだす。くそ、雑にエロ本を手に取るはずが大好き「複数プレイ」ものにより気が動転してしまった。思わず複数プレイもののエロ本を手に取り、じっくりと眺めたかったがそれだけは出来ない。周りからエロ本をじっくり選んでいる人と思われるのは絶対に避けなければいけない。

自然なフォームで店内を周回し始めた私は、そのままエロDVDコーナーに向かい、「へぇー」という顔をしながらそのまま右に曲がりさらに奥のエロ下着コーナーを「ふーん」という顔をしながら見て回る。そして私は「あ、ラインがきた」という顔をしながらスマホを取り出しふむふむといった表情でスマホを見始める。

しかし実際はラインなど来ていないし、私の頭の中は冷静を取り戻そうと必死である。額から汗が滴り落ちる。

くそ、どうすればいい。最初に雑に手に取ったエロ本をレジに持っていけばそれで終わりだったのに、僕ちん大好きな「複数プレイ」が目に入ったばかりに、もうあの「複数プレイ」のエロ本が見たくて仕方がない。だがここで、複数プレイのエロ本をレジに運べば「わざわざ最初に手に取ったエロ本ではなく、複数プレイに惹かれて複数プレイものを買った人」に成り下がってしまう。「うわこれエロ~」という感情を他者に見せるのだけは避けなければならない。やはりここは最初に手に取ったエロ本を持っていくか...。


その後私は「エロってのは生きていく上で欠かせないもので別に恥ずかしいものではないんですよ」という表情をしながら複数プレイもののエロ本を手に取りレジに運んだ。

 

 

だせぇ~。シミュレーションですらダサさを発揮してしまった。結局「うわこれエロ~」という感情がもろ出しだ。完全にエロイ魂胆がまろびでている。


ここまで考え出すと最早逆にエロそうなエロ本を吟味するしかないのではないか。逆に、ね。逆にの精神だ。「うわこれエロ~」の表情もちゃんとする。そうしないとウソになるので。一人でエロ本を吟味するのは恥ずかしいというのを知っていながら、あえてエロ本を吟味する。もうこんな時代が来ているのかもしれない。

 

ここまで書いて思ったが、誰かとエロ本買いに行けばいいと思いついた。序盤にも書いた通り、他者との交流を通せばどんな「うわこれエロ~」も意見交流になりうる。そうだ、そういうことだ。誰か私とエロ本買いに行ってください。宜しくお願いします。

21歳の時ハッテン場に行った話。

月一でブログ更新しようとなんとなく決めていたのだが4月は更新できず、あーそろそろブログ書かなきゃなーなんて思いつつこのブログを書き始めている。

 

なぜブログを書かなかったか?否、断じて否だ。書かなかったのではなく、書けなかったのだ。

 

世間は緊急事態宣言だなんだで巣ごもりを推奨される日々。私もこんな世情でなければ、今頃外に遊びに出ては酒を飲みBBQをしてフェスにでも行っていい男をゲット、そこからあれよあれよという間にクンニでもして先月のブログのエントリーは見事に私のクンニレポートで埋まっているはずだったのだが、世間がこうじゃ仕方がない。非常に惜しいがしょうがない。クンニしょうがない。

 

要するに書くことがないのだ。日中は在宅勤務で家とコンビニを往復する日々。偶の休日も家で大人しくゲームかオナニー。ドラクエのレベル上げかオナニーだ。交互にやりすぎて最早メタルキングを見ると無条件に勃起するようになった。

 

こうしている今も絶賛zoom会議中なのだが、それ前々期に話してませんでした?といった内容が繰り返される退屈なもの。繰り返される無為なzoom会議。もう部長の家のカーテンの柄は見飽きているのだ。

 

なにか来ないか。なにか面白い事。起これ奇跡。ブログに書きたくなるようなミラクル。

例えばそう、同僚K。なんか面白い事しろ。クンニしろ、いきなり会議中にクンニしてくれ。頼む。クンニの描写だけで1000文字書くから。頼む。

 

もしくは後輩のS。なんかしろ。削れ。歯をやすりで削れ。いきなり歯をやすりで削り出せ。エナメル質を粗末にしろ。いきなりニカッと笑ったと思えば何処からかやすりを取り出し犬歯を削れ。もっと尖らせろ。そして尖らせた犬歯でキーボードを噛み砕け。食え。もはやキーボードを食え。テンキーを食え。

 

なんて願ったところで会社の面々は至って真面目な顔で会議に参加している。くそ、こうなればもう俺がハプニングを起こすしかないのか。死ぬか。いきなり死んでみるか。会議中にいきなり息をひきとってみるか。

 

なんて考えていると定刻で会議は終了。ふぅ、今日もなにもない日だった。しかし、日常にネタがないなら最早できることは一つだけだ。エピソードトークしかない。します、エピソードトーク。というわけでここまで前文です。前文で後輩にキーボードを食わせるな。

 

 

 

皆さんはハッテン場に行ったことはあるだろうか。発展場とはゲイの人間がSEXする為に集まる社交場のようなもので、異性愛者の言うところのソープとかヘルスとは比べ物にならないほど安価で自らの性欲を満たすことが出来る夢のような場所である。(要出典)

 

当時私は21歳、ゲイになって間もなかった私はハッテン場という場所に憧れを抱いていた。

その頃出会った私と同い年のゲイの友達はこちらの世界に入るのが早く、こちらの業界の事は知り尽くしている人間だった。そんな彼から出るエピソードトークのいつかはハッテン場でのエピソードのものもいくつかあり、まるでそこは酒池肉林の宴であるかのように語られていた。ハッテン場に行ったことのない私ではあったが、同い年の友人に経験で差をつけられ舐められたくない一心で

 

あーいいよね、ハッテン場。うん。すげぇ発展できるよね。え?SMルーム?あーあそこね。あそこもいっぱいハッテンできるね。うん、ハッテン著しいよね。インド?って感じ。うんかなりBRICs。ブリブリBRICs

 

などと話を合わせていたのだが、遂にはその友人に「じゃあ一緒に今度行こうよ」と言われハッテン場ガチ初心者である私が遂には後には引けなくなったのである。

 

それは駅から徒歩15分ほどで行ける場所にあり、ビル一棟丸々ハッテン場として運営しているようだった。いざ、目の前にすると謎の迫力がある建物である。

一緒に行こうと言った友人は既に入場しているらしく、中で適当に待つとの連絡が入っていた。なんだ適当に待つ、って。適当にSEXですか?もしかしてSEXしてるんですか?じゃあ俺もう帰っていいですか?などと若干泣きそうになりながら、ビルの入り口をくぐる。

 

ハッテン場への憧れはあるものの全く知識のない自分は入場してから受付するまでもかなり不安である。まず受付になんて言えばいいんだ?コースとかあります?お触り可ですか?挿入はオプション?

 

受付に着くなり言われるがままに料金を払い、館内着のサイズも選ばされる。とりあえず一番発展できそうなコースをお願いします、と言おうと思っていたがそんなことを言う暇もなく事務的に中に通される。

 

とりあえずは鍵のついたリストバンドに書かれた番号のロッカーで着替えをすまし、スマホを確認する。友人からの連絡はなし。どうする...。ハッテン場童貞がいきなり野に放たれてしまった。

 

こっからなんかないのか?店員さんが席まで案内してくれるまで待つタイプの店なのか?デニーズ?デニーズと同じシステムでいいですか?

 

友人に着いたよと連絡するのもなんだか癪だ。え?ハッテン場のお作法知らないでやんすか?!と思われそうだからだ。発展場の作法?し、知ってるよ。もはやここはあの酒池肉林の中心地、道行く男の乳首をいきなり舐めても咎められないはずだ...!!

 

よし、とりあえず道行く人の乳首を舐めようと決心をつけた束の間、背後から友人が声をかけてきた。

 

どうやら自分が来るまで休憩室みたいなとこで寝ていたらしい。じゃあ、行きますかと伸びをしながら軽やかに言う友人。その足はエレベーターに向かっている。

 

なんだ、ここでハッテンするわけじゃないのかとひやりとしつつ友人についていく。どうやら2Fと3Fがハッテン出来るスペースらしい。近づく発展の雰囲気に胸も高鳴る。ここまで近づくとハッテンの雰囲気を肌で感じれるぜ、などと言いつつエレベーターを2Fで降りる。

 

2Fで降りたがなんだか全体が薄暗い。照明がなんだか必要最低限で留められている感じだ。んーもう、危ないわね。えーっと、電気のスイッチは~?と壁の方でスイッチを探し始める私を他所に友人は暗闇でも慣れた足取りで歩を進め、ある大部屋に入っていった。私も金魚の糞の如く後に続く。

 

異様な雰囲気が流れていた。

薄い暗闇の中に何人かの男が雑魚寝していることは確認できる。そして、聞こえるのは男の寝息、そして乾いた破裂音と粘着質な摩擦音。

 

こ、これは、もしかして、もしかしてですけど...!は、ハッテンしていらっしゃいます〜?!!?!!今まさにナウで著しいハッテンを展開してらっしゃいます〜?!!?

 

それまで他人のSEXを間近で見たことなどない私はこの時点で多大な緊張と少しの興奮で吐きそうになっていた。

 

そんな私を意に介さず友人はひょいひょいと寝ている人間を飛び越えながら辺りを見回しているようだ。そうしている内にある1人に近づくと不意に唐突に脈絡もなく相手の乳首を触りだしたではないか!

 

こら!も~!ダメでしょ!他人の乳首勝手に触っちゃ!すいません~、普段はこんな子じゃないんですけどね~。ほら、ビスケット!ビスケットあげるからこっちきい!

 

と言いながら友人の仰天行動を阻止しようと動こうと思ったその一瞬、乳首を触られた相手が友人と刹那で目線を交わしたかと思うとお互いに乳首を触り始めたではないか。

 

この瞬間、私は理解した。友人と相手方の間で瞬間の目配せのうちになんらかの合意がなされたのだと。あまりの瞬き、あまりの須臾。達人だ。達人の試合を見せられている、そう感じた。

 

そのまま2人はしばらく乳首をこねくり合っている。一見、乳首をこねくり合っているだけだが、これもなんらかの意味があるのだろう。友人のハッテン場での達人の間合いを見せつけられ、私は早々に戦意を喪失しかけていた。

 

出来るのか?自分にあんなことが。技は見て盗めというが、そんなレベルの話ではない。そもそもどういう経緯、論理で相手の乳首を触りに行けばいいんだ?論理が、論理が見当たらない。相手の乳首を触りに行くに足る正当な論理が。

 

正直に言うか?

「すいません、大変恥ずかしながら私はハッテン場初心者であり、経験不足な故に瞬時にあなたの乳首を触りに行く技が使えません。どのようなタイミングで、どのような論理を以て触りに行けばいいですか?」と。

 

いや、ダメだ。そんな言い訳が許されるような状況ではない。ここは既に達人の間合い。悠長なことをしていれば俺の乳首は...飛ぶ...!!

 

そうこうしているうちに友人は乳首を触る手は単純なちろちろ触りから相手の乳輪を半時計周りにねっとりと触る触り方に移行している。こいつ...!

 

こうしている間にも私は乳首を触る重責に苦しめられ続けている。スムーズに乳首を触りに行けなければハッテン場童貞をみすみす晒しているのと一緒だ...!

 

何か、何かないか。ハッテン場巧者であることを示せるウルトラCは。刹那、間合い、達人、一体となる...!ハッ...!見つけた。このハッテン場を支配する俺のハッテンを...!

 

 

剣の達人、上泉伊勢守が残した言葉の一つ。

「我が剣は天地と一つ、ゆえに剣はなくともよいのです。」

 

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出典:バカボンド

 

ハッテン場を支配するのはSEXだけだと思っていた。しかし違う。真の剣の達人が無刀の極地へと至ったように、真のハッテン場の達人にはSEXすらもいらない!そう、無SEXの極地!!泰然自若、自然との合一...!他者との合意に自分を置くのではなく、ハッテン場そのものと自分を合一させる!!

 

つまり俺が取るべき行動は、乳首を触るのではなく、ただそこにあればいい。ただそこに存在し、自らをハッテンさせるのだ。ハッテンとは、高めあい。俺はハッテン場において自らを高める....!!

 

そうして私はただそこにあり続けた。ハッテン場の大部屋の隅っこで時に立ちつくし、時に座禅を組み、ただそこにあり続けた。それこそが俺のハッテンなのだ...!!!

 

 

 

ひとしきり己のハッテンを終え、私はハッテン場を後にした。そうして、建物の外で友人を待ち合流した。友人は一言、どうだった?私は心の中にある一つの確信めいた言葉を吐き出した。

 

「SEX...したかった...!」

その頬にはひと筋の涙があったと言う。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』感想 ネタバレあり

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』見てきました。ネタバレありの感想を書いていきたいと思いますので、ご注意ください。映画をまだ見ていない人は絶対にネタバレだけは見んといてくださいよ!

 

そもそも自分がエヴァンゲリオンに出会ったのは、破の公開当時くらいで中学生くらいのころだと思う。クラスの小川君がおススメしてきてくれたのがアニメ版の方のエヴァンゲリオンだった。小川君はエヴァンゲリオンの他にもPSPに入れたとらドラ!涼宮ハルヒの憂鬱のアニメも見せてくれて、いわゆる当時のサブカルチャー文化を俺に教えてくれた人であった。俺はエヴァンゲリオンの意味わからん用語たっぷりの「訳分からなさ」にハマり、アニメ版、旧劇、新劇を夜中、布団に包まりながら順々に見ていった。俺がエヴァンゲリオンの訳分からなさから来る中二病感にハマったのに対し、小川君はエヴァンゲリオンを社会に居場所が見つけられない思春期のもがきの表現としてエヴァンゲリオンにハマっていた。小川君の中でエヴァンゲリオンとは普通のロボット物とは違う(そもそもロボットではない)、繊細で神経質な世界観を落とし込んだ革新的なアニメだったのだ。


『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」(以下シンエヴァ)を見た後に真っ先に思ったのはそんな小川君のことだった。シンエヴァは小川君がハマったエヴァとは別物になっていたのだ。言わば保守的。「大人になることとは」「けじめをつけろ」「責任はとらなければならない」「退屈な毎日の繰り返しは幸せなこと」「子どものままではいられない」「仕事の意味」「挨拶は大切」そんな言ってしまえば旧時代的な価値観の肯定がシンエヴァには散りばめられていた。


しかしそれにはちゃんとした意味があり、作品自体の面白さも相当なものだった。俺がハマった意味わからん単語、訳分からない"エヴァっぽさ"はそのままだったし、それなのに物語の大筋はなんとなく把握できるのは旧劇同様素晴らしい構成だった。物語後半の戦闘のカタルシス、ここまで広げた風呂敷の畳み方の鮮やかさは本当にすごかった。それら全体の感想を書いたうえで、映画を前半後半に分けて感想を書いていく。

 

 

前半(第3村)


この前半の第3村での描写がいわゆる日常パートであり、シンジくんの立ち直りを丁寧に描いている。Qで精神をボコボコにされたシンジ君が拗ねてる間に綾波は初めてのドキドキ農業体験をしたり、アスカはケンスケ(以下ケンケン)と一つ屋根の下で暮らしたりしている。

Qの絶望的展開から一転、農本主義を基にニアサーを乗り越えてひたむきに生きるトウジやケンケンの姿、NERVや学校以外の人間との関り、また自分を突き放していたと思っていたミサトさんたちが実はシンジ君に対して優しさを持っていたことを少しずつ知り、長い時間をかけて(およそ1時間くらい)少しずつ少しずつシンジ君は立ち直っていく。エヴァに乗る以外の選択肢(村で生きていく)を初めて提示されてなお改めてエヴァに乗るという決断を下したシンジのカッコよさには痺れた。


この第3村の状況、大きな災害を乗り越えてひたむきに生きる人々の姿は震災後やコロナ禍を乗り越えようとする現実の我々の姿と重なっているようにも思えた。前述した「退屈な毎日の繰り返し」の肯定は、こういった現実での出来事を受けて庵野監督が至った結論とも言えなくもない。この第3村の描写は「大人になった」庵野監督が「けじめとして」創ったエヴァを象徴する場面と言ってもいいかもしれない。


この第3村でトウジやケンケン、委員長のヒカリが実は生きていることが明かされるのだが何よりもケンケンの成長具合が凄い。この作品では不在だった父性を一身に担う男がまさかのケンケンなのである。本来、父性を出すべきゲンドウは14年間で目からビーム出るようになっただけなのに。シンエヴァのもう一人の主人公はケンケンと言ってもいいかもしれない。そりゃアスカも心のよりどころにしますわなと納得させてくれるケンケンの成長具合を噛み締めていきたい。

 

後半
旧劇場版やアニメ版で既視感のあるシーンをリファインしながらも、新劇ではそれを少しづつ変えて物語をずらしていくのが「破」でもよく見られる手法だった。今回のシンエヴァでもそれは多く見られて、巨大綾波や腹部を撃たれるミサトさん、終劇の浜辺など旧劇を知っている人間からすればそれぞれのシーンがシンエヴァで全く別物になっていくのを感じ取れる演出だった。


巨大綾波に対してミドリが「変!」と叫ぶシーンなんかはそれの最たるもので、ミドリに言われて初めて「確かに巨大綾波って変だな」と思った。旧劇においては巨大綾波に触れたマヤが発狂するなどとてもシリアスなものと捉えられていたが、今回の巨大綾波は「変!」なのである。人によっては神秘性やトラウマを覚えるような造形として認知されていた巨大綾波もシンエヴァでは別の文脈として再構成されていると感じた。


ミサトさんの活躍もめちゃくちゃ良かった。最後の髪をかきあげるシーンからの展開は思わず泣いてしまった。「Q」でのディスコミュニケーション具合を散々揶揄されてきたミサトさんだが、そのフォローも出来る限りされていたし、そんなことが吹っ飛ぶくらい最後のシーンがよかった。なによりミサトさんが撃たれた後にシンジ君が「リョウジ君に会ったよ」と言うシーンも旧劇のただ狼狽えるだけだったシンジ君との違い、成長を感じられてこれまた泣きそうになった。そしてそんなシンジ君を守るミサトさんの姿は完全に母。上司と部下と言う関係を超えてミサトさんには母性が目覚めていた。シンエヴァにおける母性はミサトさんが一身に担ってました。(ユイもちゃんと母親していたが)


シンジとアスカが最後に言葉を交わす浜辺のシーンも言わずもがなである。アスカの首を絞め「気持ち悪い。」と言い放たれ終劇を迎えた旧劇とは異なり、シンジとアスカ、二人きりの浜辺で「昔はアンタのことが好きだったんだと思う。」の返事として「僕も好きだった。」とシンジ君が返す。昔好きだった人のことを素直に好きだったと認めれる大人にアスカとシンジは成長したと分かるシーンであった。

 

これら「大人」になった登場人物たちの演出はシンエヴァの一番の魅力と言っていいだろう。それは庵野監督自身の話でもあるように思う。旧劇が「子ども」だった庵野監督の心情を映し出した創作物だとすればシンエヴァは「大人」になった庵野監督の心情を映し出した創作物なのである。作品を通して自己の価値観を映し出す、やってることは変わらないがやってる本人は大きく変わった。それこそが旧劇とシンエヴァの違いであり、この作品の意味であり、監督自身のけじめなのではないかと思えてならないのだ。

映画の感想を語っていて作り手にフォーカスするのはあまり好きではない語り口なのだが、エヴァンゲリオンという作品は庵野監督自身のパーソナルな部分が色濃く出ているので語らずを得なかった。


物語終盤、虚構と現実を混ぜて補完の中心となったシンジ君は無双のごとく登場人物たちを救っていく。ラストの解釈はエヴァが現実に存在する世界を虚構にしたとかエヴァが虚構として存在する現実の我々の世界をも救っただとか色んな解釈の仕方があると思うがとりあえず言えることは「さようなら、エヴァンゲリオン」なのだろう。アニメ版、旧劇、新劇と経て監督も我々も大人になった。きっと小川君もどこかで大人になってエヴァンゲリオンにさようならをしていることだろう。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』はそんな昔の自分への墓標のような作品として、とても有意義で同時にエンターテイメントとして楽しめる良い映画であった。

 

以下は書ききれなかった感想を箇条書きで書いていきます。
・俺はマリ好きなのでマリエンド大好きです。男も女も乳がデカい方がいいぜ。漫画版はシンジ×アスカらしいのでそのうち読んでみたい。


・ユイが旧劇では完全に狂った母だったのに、今回はシンジの背中を押して救ってくれるのは定番ながら良かった。


・ゲンドウはあんなに喋らなかったのにモノローグでベラベラ喋りだした時は思わず「そんな喋るんだ」って言っちゃった。しかし、ゲンドウの心情は今までほとんど出てこなかったのでやりたかったことの一つなのかもしれない。


・ゲンドウは完全に「まるでダメな男」だった。


・ゲンドウがマイナス宇宙で頑張って量子テレポートしてたのに一瞬でシンジ君に捕らえられたのは笑った。


・専門用語が多すぎる。それも自覚してか来場特典の冊子で自らイジってやがる。オップファータイプってなんやねん。


エヴァンゲリオンをグサグサ刺してくところはソードマスターヤマトの串刺しシーンを思い出した。


・シンクロ率∞はエロ漫画によくあるやつ。


・リツコがゲンドウを躊躇なく打つとこも旧劇との違いで良かった。


・相変わらず加持さんは謎の男だった。しかし、加持さんは謎の男としてのキャラクターが一番しっくりくるからそれでいい。


・葛城パパの元凶感が急に出てきた。


・13号機と初号機の戦闘シーンは庵野監督の趣味全開なのと虚構感の演出としてすごくハマってた。シン・ウルトラマンも早く見たい。


・今回で庵野監督のエヴァンゲリオンは本当に終劇したが、庵野監督以外が作るエヴァンゲリオンっていうのも見てみたい気もする。作るってだけで批判が見えてる地雷だが。さようならはまた会えるようなお呪いらしいので。

オナニー精子、ティッシュに出すか?便器に出すか?

皆さん、ごきげんよう太陽暦も2月に入り日中は暖かい日差しがこぼれる日も増えてきました。つい数日前までは日中も寒くて寒くて、下半身を露出する気も起きなかったのが嘘のような暖かく穏やか日差し。

穏やかなお昼の時間はなんだか時間の流れさえも遅くしてしまったようで、ぼーっと過ごす時間も増えている気がします。特に何もやることのない穏やかな午後、男が隙あらば行うことと言わずもがな一つですね。

 

そう、オナニーである。

 

オナニーに関して長年疑問に思い、みんなどうしてるんだろう?と思っていることが一つある。それは、

”射精する時どこに出すか?”問題である。


世の中の男性皆が皆、一様にオナニーを愉しんでいることは分かっている。隠していても分かっている。”特段の事情のないただの性欲”を処理するベストアンサー、それはオナニーに他ならないからである。

しかしオナニーの話題の中でもみんながソレをどこに出しているのかという話題はあまり聞いたことがない。しかも、たまたまどこに出すかという話題になったとしてもみんな同じような事しか言わない。「ティッシュでしょ」と。本当か?

 

オナニー精子ティッシュに出すと誰が言い始めたかは分からない。そして、オナニーした後の精子ティッシュに出しなさいと学校で教えてもらえるわけでもない。しかし、精子をだす場所を問われると皆、判を押したかのようにティッシュと答える。
これはオナニー精子ティッシュに出すのが一番”普通”だと思われているからである。日本人の同調圧力、普通であることの強制。それが自己の快楽の追求であるオナニーにまで浸食しているのだ。これはあってはならないことだ。オナニーは自由であるべきだ。


かのマルクス主義で有名なカール・マルクスは言った。「人間とは、自分のオナニーの運命を支配する自由な者のことである」と。


孤独のグルメ井之頭五郎は言った。「オナニーをする時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・」と。


これらの言葉にあるように、オナニーとは自由でなくてはならない。ティッシュ以外に精子を出している人も今こそティッシュ絶対主義から解放されて、オナニー精子をどこに出しているかを自由に謳える時代にしなくてはならない。これはブログという名の弾劾である!

 

というわけで、私がいままでオナニー精子をどこに出してきたかここに開陳しようと思う。同じような出し方をしている人たちの心の支えになれば幸いである。

 

・便器に直接出す
ティッシュ派閥を最大に脅かす勢力として存在するのが、この”便器に直接出す派”ではないだろうか。便器に出してそのまま流す。実に合理的、かつスマートである。これからのスマート社会において推奨されていくのはこの方法ではないだろうか。アレクサもそう言っている。
アレクサ「はい。オナニー精子は便器に直接出しましょう。」
ほら。


しかし、この便器に流して終わりにも勿論デメリットは存在する。

第一に私は全裸で横になってオナニーするのが好きなので、この方法ではあんまり気持ちよくなれない。

第二に一人暮らしの場合は良いが、家族と暮らしていたりするとオナニーの為にトイレを長い時間占有することになり、その為家族からの横槍が入りやすい。あとちょっとでクライマックスって時に「入ってるー?」などとお母さんに言われた日には神すら殺したくなる。あと普通にトイレでオナニーするために長く籠ってるの、お父さんとかお兄さんにバレてるぞ。オナニーは部屋でしなさい、たかし。

 

・イク瞬間に皮で包んでトイレに流す
仮性包茎にだけ為せる技。何言ってるか分かんない人は強い人なので、分かんなくてもいいです。仮性包茎は弱いが、こういうしなやかな技が使えるんです。
この出し方の利点は何と言っても部屋で一人、横になりながら出来る点だ。そしてティッシュも使わないので経済的かつ、オナティッシュの処理に困ることもない。隙が無い。


しかし、一長一短、利害得喪。完璧なものなど無いのがこの世の常である。この技の弱点は、包皮に精子を溜めたまま自室からトイレまでの移動を行わなければいけないという点だ。その移動間に精子を溢しても後処理が面倒だし、ましてやその姿を見られようものなら社会的な死は免れない。その姿は正に新手の妖怪と言っても差し支えない姿なので、処理の際は細心の注意を払う必要がある。

 

・そこらへんの捨てる紙に出す
これは少ないのではないだろうか。私も一時期やっていたが、デメリットの方が多くてやめた。

適当な紙と言っても都合よく捨てる紙が落ちている訳でもなく、射精する瞬間に一瞬で探し回らねばならないし、素材や大きさによっては全く精子を受け止めきれない。一度、再配達をお願いしなければならない佐川の配達伝票に出してしまった時はなんてバカなことをしてしまったんだと自分の愚かさを憎んだりした。


メリットを挙げるとしたら、(いらない紙に溢れているならば)その手軽さが挙げられるだろうか。それにこの出し方は、なんにでも出せるという最も自由に近い形とも言える。あとは出していい紙を選ぶその刹那の選択に確かな享楽はある。自身の判断力を養う目的の人いるならばこの出し方をおススメできる。

 

とりあえず3つ出してみた。(ダブルミーニング
これを見てる方の中にこの3つやティッシュ以外のところに出している方がいるのならば、是非声を上げてほしい。オナニーとは自由。故に出す場所も自由だ。

思い思いの場所に出していると我々が言うことで、これからオナニーを始める第8オナニー世代はもっと自由にオナニーを愉しむことが出来るであろう。


オナニーの自由を願って。2021.02.05