OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

オナニー精子、ティッシュに出すか?便器に出すか?

皆さん、ごきげんよう太陽暦も2月に入り日中は暖かい日差しがこぼれる日も増えてきました。つい数日前までは日中も寒くて寒くて、下半身を露出する気も起きなかったのが嘘のような暖かく穏やか日差し。

穏やかなお昼の時間はなんだか時間の流れさえも遅くしてしまったようで、ぼーっと過ごす時間も増えている気がします。特に何もやることのない穏やかな午後、男が隙あらば行うことと言わずもがな一つですね。

 

そう、オナニーである。

 

オナニーに関して長年疑問に思い、みんなどうしてるんだろう?と思っていることが一つある。それは、

”射精する時どこに出すか?”問題である。


世の中の男性皆が皆、一様にオナニーを愉しんでいることは分かっている。隠していても分かっている。”特段の事情のないただの性欲”を処理するベストアンサー、それはオナニーに他ならないからである。

しかしオナニーの話題の中でもみんながソレをどこに出しているのかという話題はあまり聞いたことがない。しかも、たまたまどこに出すかという話題になったとしてもみんな同じような事しか言わない。「ティッシュでしょ」と。本当か?

 

オナニー精子ティッシュに出すと誰が言い始めたかは分からない。そして、オナニーした後の精子ティッシュに出しなさいと学校で教えてもらえるわけでもない。しかし、精子をだす場所を問われると皆、判を押したかのようにティッシュと答える。
これはオナニー精子ティッシュに出すのが一番”普通”だと思われているからである。日本人の同調圧力、普通であることの強制。それが自己の快楽の追求であるオナニーにまで浸食しているのだ。これはあってはならないことだ。オナニーは自由であるべきだ。


かのマルクス主義で有名なカール・マルクスは言った。「人間とは、自分のオナニーの運命を支配する自由な者のことである」と。


孤独のグルメ井之頭五郎は言った。「オナニーをする時はね、誰にも邪魔されず 自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ 独りで静かで豊かで・・・」と。


これらの言葉にあるように、オナニーとは自由でなくてはならない。ティッシュ以外に精子を出している人も今こそティッシュ絶対主義から解放されて、オナニー精子をどこに出しているかを自由に謳える時代にしなくてはならない。これはブログという名の弾劾である!

 

というわけで、私がいままでオナニー精子をどこに出してきたかここに開陳しようと思う。同じような出し方をしている人たちの心の支えになれば幸いである。

 

・便器に直接出す
ティッシュ派閥を最大に脅かす勢力として存在するのが、この”便器に直接出す派”ではないだろうか。便器に出してそのまま流す。実に合理的、かつスマートである。これからのスマート社会において推奨されていくのはこの方法ではないだろうか。アレクサもそう言っている。
アレクサ「はい。オナニー精子は便器に直接出しましょう。」
ほら。


しかし、この便器に流して終わりにも勿論デメリットは存在する。

第一に私は全裸で横になってオナニーするのが好きなので、この方法ではあんまり気持ちよくなれない。

第二に一人暮らしの場合は良いが、家族と暮らしていたりするとオナニーの為にトイレを長い時間占有することになり、その為家族からの横槍が入りやすい。あとちょっとでクライマックスって時に「入ってるー?」などとお母さんに言われた日には神すら殺したくなる。あと普通にトイレでオナニーするために長く籠ってるの、お父さんとかお兄さんにバレてるぞ。オナニーは部屋でしなさい、たかし。

 

・イク瞬間に皮で包んでトイレに流す
仮性包茎にだけ為せる技。何言ってるか分かんない人は強い人なので、分かんなくてもいいです。仮性包茎は弱いが、こういうしなやかな技が使えるんです。
この出し方の利点は何と言っても部屋で一人、横になりながら出来る点だ。そしてティッシュも使わないので経済的かつ、オナティッシュの処理に困ることもない。隙が無い。


しかし、一長一短、利害得喪。完璧なものなど無いのがこの世の常である。この技の弱点は、包皮に精子を溜めたまま自室からトイレまでの移動を行わなければいけないという点だ。その移動間に精子を溢しても後処理が面倒だし、ましてやその姿を見られようものなら社会的な死は免れない。その姿は正に新手の妖怪と言っても差し支えない姿なので、処理の際は細心の注意を払う必要がある。

 

・そこらへんの捨てる紙に出す
これは少ないのではないだろうか。私も一時期やっていたが、デメリットの方が多くてやめた。

適当な紙と言っても都合よく捨てる紙が落ちている訳でもなく、射精する瞬間に一瞬で探し回らねばならないし、素材や大きさによっては全く精子を受け止めきれない。一度、再配達をお願いしなければならない佐川の配達伝票に出してしまった時はなんてバカなことをしてしまったんだと自分の愚かさを憎んだりした。


メリットを挙げるとしたら、(いらない紙に溢れているならば)その手軽さが挙げられるだろうか。それにこの出し方は、なんにでも出せるという最も自由に近い形とも言える。あとは出していい紙を選ぶその刹那の選択に確かな享楽はある。自身の判断力を養う目的の人いるならばこの出し方をおススメできる。

 

とりあえず3つ出してみた。(ダブルミーニング
これを見てる方の中にこの3つやティッシュ以外のところに出している方がいるのならば、是非声を上げてほしい。オナニーとは自由。故に出す場所も自由だ。

思い思いの場所に出していると我々が言うことで、これからオナニーを始める第8オナニー世代はもっと自由にオナニーを愉しむことが出来るであろう。


オナニーの自由を願って。2021.02.05