OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

風流を考えるお正月

新年明けましておめでとうございます。

 

正月三が日も過ぎて4日目。ぐだっとしたり新年会でグデグデになるまで飲んだりと、それなりに忙しない日々を過ごしている。

 

さて、正月と言えば年賀状。年賀状と言えば正月でございます。本年も様々な方から年賀状を頂きました。手紙の形態を取るものやSNSによるもの。しかしSNSによる年賀状のかたちってのは何故か軽んじられる傾向にあると思う。この感覚、歳を重ねれば重ねるほど強くなる感覚であると思う。

逆に手紙の形態を取ることの何が良いかって、風流であることだ。これに尽きる。

SNS上で気軽に挨拶が出来る環境にありながら、あえて手紙の形態をとって挨拶をすることで年始の雰囲気を感じることが出来る。手紙より便利な連絡手段が開発されても、手紙のかたちで新年を祝うことで、よろしくの気持ちをより強くさせる。風流だなぁと思う。

これは新幹線があるのに鈍行で旅行するのと似ている。早く行こうと思えば行けるけど、お金もかかるし、のんびり旅をしてみてもいいじゃないか。風流だなぁと思う。

 

この風流の源泉はどこにあるのか。

それは我々人間が古いテクノロジーを持ち上げる傾向があるからではないかと思う。

極端に言えば遺産とか古代文明に畏怖の念を持つのもそうだ。今から離れれば離れるほどそれは強くなる。ピラミッドやマチュピチュの存在感はそういうところから来ているわけだ。

この畏怖の念は、より便利なものが発明される度に発生する。そして、その感情は、最初は畏怖ほど強いものではない。それは風流に近いものであろう。

 

そして、新しいものってはどうしても軽んじられる。昔は良かったっていう懐古がそうさせる。

SNSによる年賀状のかたちは新しいシステムが故に人に軽んじられる傾向にある。しかし、今最新のテクノロジーもいずれは100%過去のものになる。SNSだって不断に新しいシステムが生み出されるだろう。どこでもドアみたいなものが開発されて、全ての交通手段が無に帰す事もあり得る。そうした時に過去の技術が廃れるかといったらそうでもない。風流なこと、上品なこととしてある程度引き継がれていく。手紙による年賀状も鈍行も。

既存のSNSが過去のものになる時、SNSで年賀状を送ることが風流と感じる日が来るかもしれない。来ないかもしれない。来るといいなぁ。

 

今年もこんな箸にも棒にもかからない適当なこと書いていきます。今年もよろしくお願いします!!