月はすぐそこに
ハロウィンイベントも過ぎて、秋も晩秋となってきたこの頃。
一番好きな季節は?と聞かれると秋と答える。しかし、秋は秋でも晩秋はそんなにすきじゃなかったりする。
晩秋からの変化は目まぐるしい。目まぐるしいクセしてハロウィンが終わると、後はもう特段のイベントなく年末まで猛スピードだ。気づいたら冬。気づいたら年末。スプレーしたような薄い雲が、猛スピードで進んだ季節の残像のように感じる。
冬が近づき空気が澄んでくると、天体がよく見える。そのなかでも一番に煌々と光るのはやはりお月様だろう。
着込んでいても少し肌寒い夜空の下、コンビニまでアイスを買いに行った。名古屋の端の港区と言えど、そこは政令指定都市。街灯はポツポツと置いてあり、海を照らし道を照らす。均等に配置されたそれは自分の影を彼方へと伸ばす。
その道中、空を見上げる。満月とまでは言わないが、澄んだ空気の中で月が光っている。工業地帯の不夜の光にも負けずその光を主張していた。
月を見上げながら、街灯に照らされる。
しかしどちらが明るいかと言われれば、街灯の光だった。
街灯という近くにある分かりやすい光、月という遠くにある光。本質の光量としては月のほうが圧倒的に勝っているはずなのに、自分はとりあえずは街灯に照らされている。月の光ではなく街灯の光に縋って歩を進める。
月が偉いわけでも、街灯が浅ましいわけでもないが、似たようなことを感じることがある。本質的に最も重要で大きな事が遠くで輝いているのに、手前の分かりやすい光に惹かれて飛びついてしまうことが。
月を掴んで、道をまっすぐひいて、ひた走る。
ほんとうにやらなきゃいけないことはこういうことだ。
けど、月はすぐ雲に隠れて見えなくなったりする。満ちたり、欠けたりする。その上、もっと手前にはもっと輝く街灯がたくさんあって目をくらませてしまう。
でも掴まなきゃいけない。走らなきゃいけない。
こと人生においては、手前の光に惑わされず本当に大事な光を求め続けなければいけない。安息の地ははるか遠くでも、空の彼方でも。
いつか辿り着けるのだろうか。自分はそこに向かっているのだろうか、はたまた流されているのだろうか。分からない。街灯に照らされながら、光を飛び移りながら一歩一歩進んでいきたい。