愛しているの言葉じゃ足りないくらいに君が好き
恋とか愛とかそんなんじゃない。好きだ。好きなんだ。あたりめが。ただ君があたりめであってくれればそれだけでいい。
さて、あたりめの話である。
あたりめ。するめとは名前が違うだけで全くおなじものらしい。カレーやハンバーグを太陽とするならば、あたりめは月である。決して主役にはなり得ないが、おつまみとして細々とその存在感を表し続ける。決してあたりめは消えはしないのである。
「俺のどこが好きなの?」そんなことを愛する人に聞かれると答えに窮するように、あたりめのどこが好きかと尋ねられるとこちらも答えに窮する。
恋の病に罹患していれば、「全部が好きだよ。」なんて空を掴むような甘言をぶっ放せるのだが、現実はそうもいかない。
恋に対してもあたりめに対してもそこまで盲目にはなれないのである。現実を見据える視力は社会人としてしっかり確保しておかないといけない。恋も大事だが、まずは生きねば。風、立てねば。
でも、恋人同士はどうやったっても惹かれあうし自分とあたりめも引かれあう。そういう風にできている。
一度手を伸ばしたら、自分の腕はあたりめと口の間を何度も往復する。これもそういう風にできているのだ。どうしようもない。
口に入れた瞬間、あたりめは控えめに味を主張する。憎らしくも味を小出しにしているのだ。
そこで自分は歯であたりめのご機嫌を取る。恥ずかしがらなくてもいいんだよ。君はまだできる。まだ味が出てくるはずだ。
徐々に徐々に両の歯の間であたりめを抱きしめること数回、やっとあたりめは本当の姿を見せてくれる。
出汁である。海鮮出汁だ。歯ごたえはそのままに、想像を遥かに上回る海鮮出汁が口の中で踊る。
あぁ、美味しい。なんて美味しいんだ、あたりめ。こうなると最早腕と口は止まらない。旨味に貪欲な獣の如く、次々とあたりめを口に放り込む。そして口に広がる旨味を貪る。なんて優美なひと時であろう。
あたりめとはなんなのであろう。いや、烏賊である。烏賊であることは分かっている。自分の食べてるものが分からないほどこの世に盲目ではない。
しかし何故、烏賊を干したものがこんなに美味しいんだろう。さきいかとはまた違う、あたりめ独自の美味さ。
しばらくあたりめを貪ると、胃袋が異変に気づく。時間差で満腹の波が押し寄せているのだ。あたりめとの熱烈な逢瀬は、胃の中でも続いているらしい。しかし口はあたりめとの邂逅を今か今かと待ち続けている。
いかがしようか。いかんともし難い。結局、満腹中枢より口寂しさを優先しあたりめとの出会いを繰り返す。
「あたりめ カロリー」とかで検索したらきっとびっくりするような事実が待っているんだろうが、自分は調べない。
パンドラの箱という都合の良い解釈を知ってしまっているため、あえて調べない。けど、思えばパンドラの箱は最後に開けられるんだったか。そうしたら、箱の中の災厄はきっと、腹につく贅肉という形で現れるんだろう。烏賊のように骨抜きにされている現状でそんなことを思ってもあまり危機感を感じないのであった。
あたりめよ。君がどれだけ僕を困らせようが、僕は君のように噛めば噛むほど味が出る人間になると誓う。
あたりめよ。君は僕になにを伝えようとしているのか。乾ききった君のおかげで、僕は潤うことができる。
あたりめよ、君を愛してる。