お布団が恋しいこの季節 ~The time has come when we miss ofuton~
季節柄、毛布を出された方も多いのではないのだろうか。
我が家の毛布は中々に性能がいい。身分不相応の昭和西川の毛布なのだが、これの肌触りが特A級なのだ。鯨の胃袋とかが昭和西川の毛布で出来ていたら喜んで飲まれにいく程だ。
概して毛布は気持ち良いものだ。
寒い外気とは遮断されたユートピア。同時に全く外に出ようなんて気にならなくさせる怠惰を生む。毛布に包まれる気持ちよさは、そんじょそこらの気持ちよさでは対抗できないものだろう。
人間、気持ち良いと気持ち悪いであらかたの事を判断してしまう節があるな、と毛布に包まれながら思った。
本能なのだ、仕方がないことなのだ。気持ち良いことはしたくなるし、気持ち悪いことはしたくない。
暑いのと寒いのだったらどっちが良い?と聞かれても適温が良いに決まっている。
すべすべでふわふわでもちもちに囲まれて、適温の中、暮らしたいに決まっているのだ。
もっとわがままになってもいいんじゃないだろうか、人類。
寒いなら寒い、辛いなら辛いでありのままに思って口にして生きていけばいいんじゃないだろうか。
特に生命活動の危機とされる冬本番が到来している。なにもしなくたって死にそうになる季節がぽっかりと口を開けて待っているというのに、努力努力仕事仕事と急きたてられるのは野暮なんじゃないだろうか。間違っているのではないのだろうか。これからの季節、気持ち良いに囲まれて生きていくのが人間の常であろう。
この寒さ待ち受ける季節の中で、自分は生きていけるのだろうか。
今年一番の寒さです、なんていう記録的寒波が一週間に一回訪れてしまうこの冬に自分は立ち向かえるのだろうか。
更には一日の中でも最も寒いといわれる早朝に、昭和西川を背にして、テキパキと仕事へ行く準備を整えられるだろうか。
相当の律し方をしなければ連戦連敗の未来が待ち受けている。敢然たるお仕事氷原に向かうために極寒の中で毛布と別れを告げる。
かなり厳しい。モチベーションの水平飛行が見て取れる。否、むしろモチベーションきりもみ急降下であろう。けど働かねばならぬ。生きねばならぬ。
失意の中の堀越二郎が里見菜穂子に強く焦がれたように。自分もまた失意の中で昭和西川に強く焦がれているのだ。再び昭和西川と出会うために、昭和西川の気持ちよさ包まれるために。
別れってのも時には必要なんだ。別れた先でまた繋がれたらいいね。いや必ずまた君に「ただいま」を言うよ、昭和西川。
肌に残る君の感覚も寒さの中で奪われそうになるけど、それでも君を想い続けるよ。
そんなことを思いながら、今日も自分は布団を飛び出した。