OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

PayPayとぱいぱい。不便と消費。

PayPayでクレジットカード情報が漏れているらしい。

漏れる又は漏らすという行為は、社会的かつ文化的な生活の中では非常に忌み嫌われる行為だ。かつてのベネッセや今回のPayPayのように情報が漏れたら謝罪に次ぐ謝罪をしなければいけなくなるし、液が漏れたボールペンは使い物にならなくなる。おしっこなんて言わずもがな。漏らす、漏れるという行為は基本的にはご法度だ。

 

漏れるという文字を見ると、引越し当初のガス漏れを思い出す。

今年の5月、満を持して引越しを敢行した。そして引越しした先にていきなりガス漏れ中です、とのお達しがされた。ガス漏れといってもコンロがつかないくらいの弊害しかなかったがそれでも引越し一発目の自分には中々の仕打ちであった。直るのは数日後になるとのことだったので、コンロを使わない料理を作って急場を凌いだ次第だ。

そして数日後、ガス漏れが直ったと思ったらトイレの電球が切れた。踏んだり蹴ったりであった。引越し数日で電球が切れるのは流石におかしいと思ったので、不動産屋に電話したら補償金を送ってもらえるとのことだった。

まぁしかし、一人暮らし故にトイレのドアを開けっ放しにして廊下から照明を取り入れても誰にも文句は言われない。不便と言われれば不便だが、そこまで気にすることでもない。ということで、我が家のトイレの電球は替えられずにしばらくそのままにされていた。

 

不便をなにかで誤魔化せるとまぁ、いいや。ってなってしまう。置かれた現状で満足する性質なのだ。

現状は基本的には下がり続けるってのは分かっている。分かってはいるんだ。放置していると部屋は汚くなり続けるし、ゴミはたまるし、電機は消耗する。でもそれはゆっくり、ゆっくりと下がっているから分かりにくいのだ。

それでいいやって思い続けたら、気づけばとんでもなく低い生活基準で満足していることになりかねない。トイレだけの電球ならず、家の電気全部つかなくても懐中電灯あるからまぁいいやってことも大いにあり得る。

そこまでではないにしても、普段の緩やかに下がる生活水準には許容と諦めと慣れが纏わりついてくる。

 

無いなら無いなりに。

戦後日本を動かした精神が平成さとり世代の自分にも多少伝播しているのかもしれない。

消費を活性化させたいと願う世のお偉い様は、ものを買ってもらってなんぼ、生活を豊かにしてもらってなんぼではある。そのためにPayPayの100億円キャンペーンは行われたし、そのためにPayPayのクレカ情報の漏洩は起こっている。

 

不便を普通に持っていくよりも、自分のアンテナが向いている方の諸々を更に便利にすることに注力する毎日だ。漏れ出る不便は止められない。止める気が無い。けど、PayPayは。PayPayの情報だけはしっかり漏れないようにやってもらいたい。