知覚と記憶、そして未亡人ララバイ
松田聖子はSweet memoriesの歌い出しで懐かしい痛みだわと歌っている。大黒摩季はら・ら・らのこれまた歌い出しで懐かしい匂いがすると歌っている。
懐かしさはあらゆる五感に結びつく。懐かしさだけではなく、あらゆる記憶は五感によって記憶される。五感以外のツールで記憶される記憶ってのは極めて少ない。大体が見たものや音や匂い。触感、味。不意に思い出す思いでも、五感からの引き出しがあって思い出されてくる。
今住んでいるアパートの隣に、焼肉屋さんがある。齢70にもなろうかというおじいさんが営業しているなんとも老舗といった感じの焼き肉屋さんだ。
夕方、帰宅する頃には隣の焼肉屋は既に店を開いていて轟々とけたたましい音を鳴らす換気扇からはなんとも優美な焼肉の匂いを漂わせている。その匂いが強烈に記憶を引っ張り出してくる。
小学生の頃、自分の実家の近くにも焼肉屋さんがあった。今のアパートの隣の焼き肉屋と同じように、換気扇からはけたたましい音が鳴り、夕飯時になると良い匂いが漂ってくる。場所ははす向かいの3軒隣。若夫婦二人で切り盛りする焼肉屋さんだ。ご近所さんということに加えて、その焼き肉屋さんの子どもは自分と同級生ということもありよく夜ご飯を食べに行っていた。家族ぐるみの付き合い、正にそんな感じだった。
しかし、自分が小学校も高学年に上がろうかという頃、その焼き肉屋さんは突として閉店してしまった。同級生の子もいつの間にか転校。あまりに急なことに家族一同心配していた。
そんな間に一通の葉書きが届いた。喪中のお知らせだった。どうやら旦那さんが亡くなってしまったらしい。30歳そこそこでの急死。そこに添えられていた奥さんの言葉は今になっても忘れられない。
「お腹にいる次男共々みんな元気です」
力強さに決意、そして受け取ったものへの優しさに溢れている一言だった。親は喪中葉書きになにか返信をしていたようだが、自分はなにも書けなかった。小学生にしてお父さんを失った同級生の悲しみ、子どもを身篭りながらも旦那さんを見送るしか出来なかった奥さんの悲しみ。そのどれもに相応しい言葉を書ける自分はいなかった。何度も考えて結局、言葉の残滓さえ掴めずに自分の格闘は終わった。
旦那さんが亡くなった直後、奥さんは遠くの実家に戻りそこでまた焼き肉屋さんを始めたらしい。親も彼女の新しいお店に食べに行きたいとはよく言っているが、未だにそれは叶っていない。
しかし、その家族とのやり取りは年賀状という形で続いた。毎年毎年、律儀に年賀状は届いた。そこには成長していく子どもたちと、変わらない奥さんの笑顔、そしていつものように添えられた手書きの文字がありつづけた。それに自分は、気の利いた言葉も書けないままで相変わらずのやり取りを並べていった。
高校生になった最初のお正月、相変わらずの年賀状が届いた。
いつものように「お元気ですか?こちらは母子共々元気です」から始まる手書き文字。力強さと優しさに溢れている。凄い母親だ。小学生の時には感じ取れなかった強さに圧倒される。そんな力強さと優しさに親共々半泣きになってしまう。
そしてその年の奥さんの言葉はこう締めくくられていた。
「またまた結婚しちゃいました。」
焼肉の匂いはいつもこの記憶を引っ張り出される。あの家族の力強さと優しさを。そして恋多き世渡り上手なあの奥さんのことを。
そしてもうすぐお正月だ。来年も年賀状届くかな。