OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

昔出会った男に恋愛観を変えられた話。

ハンバートハンバートという男女二人組の歌に「今晩はお月さん」という曲がある。心の傷が癒えない男女の生々しい別れを歌った曲だ。その歌にこんな一節がある。

 

『帰りたくない 今夜だけは

   何もかも忘れて 眠ってしまいたい』

 

そう、何もかも忘れて眠ってしまいたい時がある。

僕たちはどんなに今に力を尽くしたって、過去に囚われてしまう。忘れられない何かがあるから、忘れようと旅に出るし、映画を見る。宴の後の寂しさは、宴の後の日常が覆い被さってくるからこそ感じるものだ。

つまり、何もかも忘れて眠ってしまうなんてことは出来ないからこそ、何もかも忘れて眠ってしまいたいのだ。人は出来る事より出来ない事を願って日々を消費する生き物なのだろう。

 

お盆だ。

それぞれ休みだったり休みじゃなかったりするのだろうか。自分はそこそこのお休みを頂き実家に帰省中だ。

親の手料理を食べたり、昔の学友と大いに笑い語ったり、楽しい帰省の日々を送っている。

 

同窓会と言うわけではないが、高校の同級生15人くらいで集まって飲み会をした。

今や社会人2年目となった自分たち。それぞれがそれぞれ社会に対して様々な形で順応したり、抗ったりしているようだ。

そんな近況報告もそこそこに済ませると、そこは若者同士。話題はやはり恋愛の話に次第にシフトしていった。

プロポーズ、結婚、はたまた出産。そんな男女の恋愛で当然あるべき単語が飛び交う中やがて白羽の矢は自分のもとへ。

 

「荻原(ブログ主)は新しい彼女でも出来たのか?」

 

 

自分には昔、彼女がいた。中学卒業時から付き合った彼女で、大学2年生の冬まで付き合った。

最後の方は腐れ縁のような関係になり、なあなあで付き合っていたと言っても差し支えはなかった。しかしそれでも、当時はそれなりに愛慕の感情はあったように思う。

そんな彼女には自分の方から別れてくれと告げた。理由は「男が好きだから」。

彼女には今となっては申し訳なさしか感じない。中学卒業から大学2年生までの約5年間。青春時代の殆どを自分を彼氏として過ごしてもらった。それなのに自分が彼女へ告げた最後通牒は、結婚のプロポーズでもなんでもなくて「男が好きだから別れて欲しい」。我ながらなんとも酷い男だ。

 

自分がゲイとして活動を始めたのは大学2年生の夏。つまり、自分には「自分がゲイだと自覚していながらも彼女にはそれを告げず関係を維持していた期間」が存在する。

この期間は単に逃げの期間だったと今振り返れば思う。ゲイとして日々を過ごしていながらも自分はまた元の道に戻れる。そんな"非常出口"として彼女という存在自体を心の拠り所にしていた。

 

まだ大丈夫、まだ大丈夫。自分には彼女がいるからまだ大丈夫。

 

そんなゲイにとっても彼女にとっても大いに迷惑なことを自分は半年間ほど続けていた。

そんな最低な考えを変えたのは、ある男との出会いがきっかけだった。

12月の中旬。ある男とリアルをした。そして性欲の勢いに任せて身体を重ねた。

その頃の自分は男との恋愛に対して非常にドライな考えを持っていた。

 

カジュアルな恋愛の方が気楽だから好きだとか、もう大人だしもっとエグみのある恋愛がしてみたいだとか、そんな一般的な恋愛観をゲイとの間柄に持ち込むのは決してしないでおこうと誓っていた。何故なら、自分がゲイとして生きていくつもりは毛頭なかったし、恋愛に付随してくる面倒ごとには巻き込まれたくなかったからだ。

結局、ゲイの恋愛なんて性衝動をぶつけ合うだけのもの。甘酸っぱい恋愛とかはリアルじゃないし、そもそも人間の欲なんてそんなもんだ。

手を繋ぎたいだとか、もう少し一緒にいたいなんていうプラトニックな感情は、「SEXがしたい」っていう性衝動を隠すもっともらしい嘘だと信じて疑わなかった。

「手を繋ごう」と言われればその手を取ってホテルへ向かおうとしたし、SEXの後に「もう少し一緒にいたい」と言われれば自分の身の置き所の無さに居心地の悪さを感じた。

リアルする度にそんな言葉を吐く男の人を見ては、そういう浅ましい取り繕いはやめて「SEXがしたい」とハッキリ言ってくれよ。そっちの方がこっちも楽だ。とすら思った。

そういうプラトニックな感情は自分にとっては回りくどくて、仮にプラトニックな恋愛を求めるとしてもそれは男に向けられるものではないのだ。

 

そんな恋愛観を持っていた自分が出会った男。彼は身体を重ねた後にこう言った。

 

「君はSEXの前と後では態度がまるで違うね。それで傷つく人もきっといる。なにより、その考えはきっと君の大事な人にも伝わってしまうと思う。まぁでも、それでも、今日はありがとう。」

 

味気ないSEXだったんだろうなぁと今になっては思う。それでも、お互い様で傷を舐めあった後にきちんと感謝を述べてくれた。寂しい夜に一緒にいてくれてありがとうと言ってくれた。そしてなにより、虚無の時間に疲弊しても、心の隙間が埋まらなくても、一緒に過ごした時間を大切に思ってくれたのだ。

 

その優しさに心底打ちのめされた。性衝動を消費するだけだった男との出会いに初めて光が差した気がした。

男同士の恋愛を軽く見ていた自分に彼は優しく諭してくれたのだ。「それでは大切なものまで軽くなってしまう。」と。

確かにその通りだった。その証拠に自分はゲイとして活動しながらも彼女との関係を維持し、彼女自身を"非常出口"として軽く見ていた。

だからこそ彼との出会いをきっかけに自分は考えた。自分はなにをしたいのか、なにを大事にしたいのか。

その結果、自分は彼女に別れを告げ、ゲイとして生きていこうと決めたのだ。これが約4年前の出来事だ。

 

同窓会のなんでもない話をきっかけになんだか昔の事を思い出してしまった。

重ねて言うが、彼女には本当に申し訳ないことをした。彼女は寛容で自分が「男が好きだ」と言った後もそれを許して、友達の関係でいてくれている。だからこそ彼女にはもう償いは出来ない。彼女は彼女の人生をもう歩んでいるからだ。

そして、僕がそれに甘えて何もかも忘れてしまうことも出来ない。

過去出来なかった想いで、人間は出来ているからだ。これまでもこれからも。

 

「荻原は新しい彼女でも出来たのか?」

僕は言った。

「付き合ってる人はいるよ。大事にしていこうと思う。」

 

キザ過ぎて学友達からは笑われてしまったけど、まぁそれでもいいだろう。

学友達も元彼女もみんなそれぞれ日本各地で頑張っているようだ。

自分も頑張っていこう。