OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

繰り返し!!なぞれ!!!

皆様には引っ越し経験はあるだろうか。自分は2回ある。就職時に社員寮へと引っ越したのが1回と、寮から出ていき一人暮らしを始めたので1回。

引っ越した際、とりあえず覚えることと言えば最寄り駅と自宅までの道のりであろう。最初は駅と自宅の点を線で繋ぐだけの2次元の道であるのだが、住み慣れていくと徐々にコンビニやスーパーやご飯屋さんを求めさまよい、結果、平面として地理を捉えていく。見知らぬ土地で道を覚える楽しさというのは結構代え難い幸福感があったりする。

 

幼い頃、自分は同じ本を繰り返し読むのが好きだった。今はそんなに読まないが、当時は暇さえあれば勝手知ったる本を繰り返し楽しんでいた。「きょうりゅう図鑑」や「ギネスブック」なんかが大好きだったように思う。漫画に関してはもっと顕著で、「ワンピース」や「BLEACH」なんかは何ページに何が書いてあるとかまで覚えていたし、「江戸前の旬」という寿司漫画も地味に好きだった。

道を覚えることと何度も同じ本を読むことは似ている。少なくとも、似ていると感じる。同様に、旅先で観光地までいくことは、新書で知識を仕入れることに似ている。この感覚なんとなく分かってくれる方はいるだろうか。

同じ本を何度も読み、文章の流れ、全体の流れを身につかせる。すると、自分でもそのような書き方が出来るように感じるし、やってみたくなる。それは駅から家までの道を何度も辿ってスイスイ歩くのと、とても似ているのだ。

自分の文章は多分、当時読みふけったいくつもの本に由来している。あの頃、何度も太宰治を読んでいたとしたら、自分の文章や知識は飛躍を遂げていたかもしれないし、入水自殺をしていたかもしれない。

自分の体に知識や技術を覚えこませるには、同じことを何度も繰り返すというのが実に単純で最も早いやり方だったりする。急がば回れ、というやつだ。しかし、当座の知識や技術だけが必要な場合は、お手軽な手順書を一度さくっと読むだけで恐らく事足りるだろう。これが同じ本を読むことと新書で知識を仕入れることの違いだ。

 

今もたまに本を買って読むことはする。しかし、どうしても知識を仕入れるだけの読み方となってしまうのが現状だ。これになんだか勿体無さと一抹の寂しさを覚える。youtubeやテレビで新しい刺激を受けることに慣れてしまい、何度も同じ知識をなぞって体で会得するものに対しての感度が低くなってしまっているのだ。

毎日たくさんの刺激を浴びて、嬉しかったり苦しい思いをして、家に帰ったらなんでもない動画をみて、日が暮れていく。それはきっと目的もなく出かけて放浪して帰ってくるだけの外出に過ぎないように思え、やはり勿体無い気がする。繰り返し覚えこませることが一切出来ない寂しさを感じる。

また、スピード感を求められる現代社会において、反復の上でのんびり会得していくことに重きは置かれていない。自分が10往復して覚えた道を、5往復で覚える人がいる。すると、自分の反復はほぼ意味のないものとなってしまうのだ。同じ5往復で終えようとするものの、何一つ覚えられずに物事は次の段階へ...みたいなことが往往にして起こるのがこの社会だ。一回言ったことは覚えなさい、ってのも酷く残酷的な言葉のように感じてくる。

費用対効果は費用のカットに目を向けたくて使われる言葉だが、今こそ効果に目を向けて、効果を出すだけの費用をかけてやりたいなぁと、考えるここ最近だ。

 

 

道

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