柔道少年回顧談
5歳から18歳まで柔道の道場に通っていた。約13年間である。良い事も嫌な事もあった。今回はその中でも特に嫌だったことを思い出したので書こうと思う。
スポーツの習い事をしていて何が一番嫌って、練習場所へ行く道中である。移動をしながら、あーやりたくないという思いを悶々と考え続けるのが特に嫌だった。行ってしまえばあとはもうやるしかない。練習内容を体に覚えこませた後はもう作業みたいなもんである。気づけば時間が過ぎている。どうしても行きの時間が永遠のような生ぬるい地獄に感じていた。
特にそれが顕著だったのは幼少期である。
6歳だか7歳の小学校にあがったばかりの頃はそれを強く感じていた。今思えば小賢しいガキだった。子どもなら子どもらしく練習を遊びと思って楽しくはしゃいでおけば良いのだ。それが許される期間が幼少期だ。自分の同年代にも練習を楽しんで飛んで跳ねてをする子もいた。むしろ子どもにとっては我がままに体を動かせるユートピアのようなものだ。そうすればそうするほど評価も得られたであろう。
しかし、自分はそうしなかった。子どもながら、同じ子どもがはしゃいでる姿に引いていた。何故そこまで脳のネジを吹っ飛ばせるのか。自らカオスを醸造し、そのカオスに飛び込んでいくような真似はどうしてもできなかった。場に慣れようと飛び込んでみるもののやはり何か違う。そんなサイクルを繰り返していた。ほんとに小賢しい。お酒を飲んでカオスの沼に積極的に落ちていく今のほうが単純明快な気さえしてくる。
練習が嫌ならばその道中も凄惨たる様である。天竺に行く道中に道場がそびえていたなら、即刻天竺到達を諦める。斉天大聖?知ったこっちゃない。といった調子だ。
当時はバスで道場に向かっていたのだが、バスに乗ったふりをして練習が終わる時間まで隠れて過ごそうとか思っていた。しかし、その作戦もあえなく親に見つかり車で送り届けられることもしばしばであった。
「ピカチュウの生物分類を研究しなくちゃいけないから帰って!」
とどこまでも知的なのかアホなのか分からない言い訳をかましたことを今でも覚えている。そんな嫌がる困ったちゃんにも道場の門戸は開かれていたのだから、今となっては感謝感謝である。
今日、街中で柔道着を着てはしゃぐ子ども達を見てそれを思い出した。この子達はきっとあのカオスな生存競争を生き残っていけるだろう。どうか淘汰されませんように。そんなことを思いながらその子ども達を横目に見送った。
この思い出は自分が社会という柔道の道場をも凌ぐカオスの沼に自ら率先して足を踏み入れる16年ほど前の出来事のことであった。