OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

満員電車でイケメンとファンデルワールス力を働かせたい

満員電車というものが嫌いだ。いや好きな人などいないだろう。電車のという名の型にギュウギュウに押し込まれ、まるでその様は押し寿司のようだ。ネタが乗せられないので押し寿司にもなり得ない。正に人間シャリ状態である。毎朝そんな状態に化しているサラリーマンの方々は大変お疲れ様です。

夏の満員電車は不快指数MAXのホットスポットであろう。人と人、汗と汗、肌と肌のファンデルワールス力が如何なく発揮される場所となっている。自分たちが分子だったら駅に着くたびに核爆発が起きていることになる。そこにエネルギーが生まれているのならば昨今のエネルギー問題も秒で解決されるだろう。しかし人と人の摩擦にエネルギーが生まれることはなく、ただストレスをためるばかりなのが悲しいところである。

満員電車が嫌で都心から離れたところに住む、なんてのも納得できる。都心を嫌いになる理由になりえるほどに、満員電車の不快指数は特筆に値するだろう。田舎のまばらな人の距離に慣れてしまっていたら、都心の人の距離には中々慣れないであろう。いや、慣れたくもないか。

悲しみに暮れているとき、絶望に打ちひしがれているときに少しの優しさで大量の感動を得てしまうことは想像に難くない。フラれた直後に相談に乗ってもらっていた相手に、クラっときちゃってそのまま恋愛に発展しちゃうなんてのは古今東西よくある話である。男女でもある。ホモでもある。やはり弱ったときの不意の優しさは誰にとっても心のオアシスとなるのだろう。

満員電車内でも同じような現象が起こる。満員電車だからこそ、不快指数がMAXであるからこそ、何気ない冷房にオアシスを見ることが出来る。車掌のさじ加減かもしれない。自動運転で一定気温になったら冷房が出る仕組みになっているのかもしれない。どのような仕組みだろうと、冷房の第一波を体で感じたときにそこに神をみる。不意の優しさに咽び泣くばかりなのである。

すると自分たちは飴と鞭の中に真の喜びを感じる性なのかもしれない。真の喜びは真の苦しみの中からこそ生まれてくるものなのだろうか。自分にSM趣味はないが満員電車の中の冷房はそう思わせる力がある。もし絶妙なタイミングで冷房が効いてくれるなら、満員電車も悪くないかもしれない。いや、それはないか。

今日も今日とて、人と人の摩擦によって核爆発を起こして会社に向かう人は多くいる。弾かれるように勢いよく飛び出して今日も電車通勤者の一日が始まるのだろう。満員電車の中を憂いながら、今日も自分は車で通勤するのであった。

 

どこ吹く風

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