OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

羨ましいをぶち壊せ

先ほどの飲み会の対岸にて、合コンが行われていた。大学生らだろうか、男女の声が入り乱れ、黄色い声も忙しなく飛びかっている。対してこちらは会社の同期の男だけの飲み会であった。男社会な職場にいるだけあって、同期のほとんどが男ゆえこのような状況に成り果てている。個人的には嬉しい限りだが。

そして飲み会の中頃にて、ある男がこんなことを言った。「向こうの女の子可愛い子いなくね?」と。

当方男色なため、こういうことに関しては全くもって無関心を決め込むほかないのだが、社会を生きるうえで多少の不都合を鑑みて、職場では異性愛者を装っている。なので、この男の雑談にも苦笑いをして曖昧に流す程度の相槌をうった。しかし、今思い返すとなんとも情けなくなってきた。あの手の非難は一種の敗北宣言である。

対岸にて合コンが執り行われていた場合、主に3通りの反応が予想される。無関心と、歓迎的関心と、非難的関心である。

無関心は1番楽だ。とりあえず向こう岸の黄色い声をシャットアウトして、こちら側の野太くもどす黒い、澱んだ会話に耳を傾けていればいい。話題の主戦場に参画していればいい。ただそれだけだ。

歓迎的関心もまた楽ではある。あの子可愛いね。あの子いいね。なんてトイレに行くついでに、横目にでも見ながら、会話の折を見て挟み込むだけでいい。簡単なお仕事だ。

非難的関心もある種容易である。同期の男が言ったように、全然可愛くないわ。マジよく分からん。とかそれだけでいい。それだけで会話の種にはなる。

しかし、この3つの反応をしたところで我々は結局負ける運命にある。歓迎的関心は、羨ましいの火の玉直球ストレートであって、現状を嘆くだけの行為だ。非難的関心もこの状況においては羨みの裏返しでしかない。虚しいほど対岸を羨み、切ないほど対岸を蔑む。無関心が一番の大人の対応と思いきや、大人と思っているほど子どもであることは必定である。パラドックス

そもそも対岸の合コンが目に入ってしまう時点で彼らは、自らの戦場に物足りなさを感じているのかもしれない。それは戦場の一兵士だった自分としても大変申し訳ない限りである。

自分にもこういう状況が起こりうる可能性は多分にある。そういう時は、自分の会話の主戦場に精一杯彩りを加えよう。共に飲んだ友を誇りに思おう。それこそが自分のアイデンティティだと思っている。

 

彩り

彩り