OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

ちんちんDMに見る即ヤリ文化

出会い系というものをご存知だろうか。

世間一般に言うならインターネットを通じて男女の「出会い」を仲介するシステムの総称だ。しかしこのシステム、なにも男女に限定されたものではない。我々ゲイの世界にも当然出会い系は存在する。むしろ、日常生活において出会いの場が極端に少ないゲイにこそ出会い系は求められていると言ってもいいだろう。

 

昨今はスマホのアプリにおいてゲイの出会いの場が提供されている。これは異性愛においても同様であろう。

しかし、異性愛の出会い系と大きく違う点が一つある。それは、即ヤリ文化が隆盛を誇っている点だ。

 

即ヤリ。即刻ヤル。ヤル、犯る。

 

子どもっていうのはコウノトリさんが運んでくるんだよ。

もしかしてキスしたら子どもできちゃうの?

 

なーんていうピュアな方々からしたらちょっと縁遠い話かもしれないが、この即ヤリ文化は確実に存在する。

 

そもそもゲイっていうのはSEXへのハードルが圧倒的に低い。世の異性愛者は1万前後払って風俗嬢ガチャを1回だけ回せるのに対し、ゲイは3千円前後のハッテン場の入場料を払うだけでイケメンガチャを複数回回せる。

金額面で見てもこの通りだが、単純に男ってエッチなのだ。思春期の男の子のスケベ具合を思い出してくれたら分かるだろうが、男は女性に比べてエッチなんです。そうなんです。エッチなんです。私がスケベおじさんです。

そうなると女性を介さないゲイのエッチ事情がどのようなものかは想像に難くないだろう。

 

その即ヤリ文化の一端を表すものとしてちんちんDMというものがある。

簡単に言えば自分のちんちんの写真をメッセージ等を使って相手に送りつける行為である。今回はこのちんちんDMという行為の是非について考えていきたい。

 

まず、ちんちんDMを送る相手の目的だ。

自分はちんちんDMを送ったことがないので推測になってしまうが、恐らくちんちんDMの送り主はちんちんDMを送ることで相手の性欲を掻き立てようとしているものと考えられる。

 

 

ちんちん。

古来から男という性の象徴であり、SEXにはなくてはならないものだ。神はアダムの肋骨からイブを作りだしたように、レズビアンがペニスバンドを用いるように、何においてもちんちんが先立つ。ちんちん、たちまくりだ。

男性原理、亭主関白、これら諸々の事象もちんちんがあってこその原理だ。

ならばちんちんを送りつける行為とは、自らの男性性を示す行為なのだ。そしてゲイは男性性に惹かれる。新一と蘭がお互い惹かれあうように、ゲイはちんちんと惹かれあう。

ちんちん無くして歴史無し、連綿と続く歴史の枠から外れようとしているゲイも哀しきかな、ちんちんという歴史のメッセンジャーからは逃れられない。

結論、ちんちんという性のイコンを送りつける行為は「俺と一緒に歴史を作ろうぜ?」と言っているようなものなのだ。つまりSEXだ。ちんちんDMはSEXを誘う目的があるとしか考えられない。QED。証明完了。

 

 

さて、相手の目的も分かったところで次はちんちんDMの特徴について纏めていく。ちんちんDMには主に二つのパターンが見受けられる。

一つは会話の脈絡の中でちんちんが登場するパターンと、脈絡なくちんちんが登場するパターンだ。

前者においてのちんちんは前述のSEXを誘うという目的を達成しやすい。相手の要求を元にちんちんが開示されたのならば、それはもうSEXの合意と見ていいであろう。ランデヴーだ。お祭りだ。わっしょい、わっしょい。

しかし、時として相手の合意なくちんちんが送られてくるパターンがある。これが後者だ。

大抵は会話もないことが多い。初めましての挨拶の代わりに、いきなりちんちんが目に飛び込んでくる。ウガンダでもこんな挨拶はまかり通らないだろう。

つまり、ファーストインプレッションおちんちん。ファーストインパクトだ。アダムだ。リリスだ。お祭りだ。わっしょい、わっしょい。

しかし、このファーストおちんちん。SEXのお誘いメッセージとしては酷く完成度が低いのではないだろうか。

 

 

~からメッセージがあります。通知が届く。アプリを開く。メッセージを見る。するとそこには...おちんちん!

 

 

人と初めて会った時には「初めまして」を言える様に教育される現代日本。美しい。美しき日本の思いやり精神だ。

しかし、そんな教育なんて知らん!と言わんばかりに中指をおっ立ててちんちんを投げつけてくる人々。人は出会いを求めるばかりに他人を慮ることを忘れてしまったというのだろうか。悲しい。世は正に大海賊時代である。

 

 

礼儀という観点でも、ファーストおちんちんは良くない。更に言えば、ちんちんDMの目的という観点から見ても良くないと思う。

何故なら。人がこの人とSEXしたい!と思う要因は何だろうか。顔である。もしくは体型だ。少なくともちんちんだけを見てSEXへと舵をきれる人はほとんどいない。

たとえ顔が五郎丸みたいな人でも最初にちんちんをスクリューパスされれば、相手は引いてしまう。鋭すぎる。パスが鋭すぎるのだ、五郎丸よ。

 

 

ならば、ちんちんを投げつけると同時に相手にSEXの成否を投げつける行為はSEXのお誘いとしては酷く完成度が低い。更に投げっぱなしにするとなったらそれは怠慢ともいえる。侮辱行為と言ってもいい。

ゲイは日々SEXの為にひた走っている。素敵な殿方とのタッチダウンに向けて少なからず努力している。それを嘲笑うかのような横からのスクリューパス。ちんちんDMの横槍。それでSEXできると思ってんのか、と言いたい。出来ないぞ。ほとんど出来ない。

下手な鉄砲数打ちゃ当たるとも言うがそんなんでいいのか。ちんちんDMの送り主よ。思い出して欲しい。教科書を忘れて隣の子と机をくっつけてドキドキした日々を。好きな子と一緒に帰った通学路を。意中の人と一つになれたあの喜びを。

そういうものなのだ。恋とはSEXとは、そういう甘酸っぱくてドキドキするものなのだ。

 それをちんちんを送りつけるという片手間で終わらせようとするその怠惰。恥じて欲しい。手軽さに身を堕とした自分に今一度問うて欲しい。本当にちんちんDMは必要なのか。大事なものはそのスマホの中じゃなくてもっと近くにあるんじゃないのか。即ヤリは本当にあなたを満足させているのか。

 

 

大抵のものが簡単に手に入るこの時代。人々は生命の営みすらも簡単に手に入れようとしているのかもしれない。それも時代の流れなのかもしれない。

確かに時代はまわる。今日は別れた恋人たちも生まれ変わってめぐり合うのかもしれない。けれど今目の前にある出会いを大切にしていかなければ、きっとなにも得れない。ちんちんDMで掴める出会いはきっとちんちんのない日常において成立しない。か細い繋がりになってしまう。

 

 

ちんちんより心で会話しよう。そうだ、ちんちん見せつけるより心を見せつけよう。そうやって一歩一歩進んでいこう。

 

 ちんちん。