OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

悠々自適を考える

悠々自適

(名)スル

俗事に煩わされず、自分の思うがままに心静かに生活を送ること

 

悠々自適な生活への憧れは誰しもが持っていることだろう。好きなものに塗れながら、何の心配事からも解放された日々。憧れないわけがない。日々を仕事に急かされている現代社会を生きる人間なら尚更だ。

しかも、こればかりはお金で解決できることでもない。きっと孫社長ですら手に入れれない。むしろ孫社長から最も遠いものの一つがこの悠々自適生活だ。

 

秋の夜長、星空の下、ウッドデッキの上、ハンモックにでも揺られながら、毛布でも掛けてあったかくして、隣のテーブルには間接照明とカフェオレが置いてある。全くもって難しくない本を読みながら、有り余る暇を自由に過ごす。少なくとも、次の日は仕事がない。夜更かししちゃっても何の問題もない。

乏しい想像力で描く最大限の悠々自適。こんな生活をしてみたいの代表格。想像しただけで涎が出てくる。夢見るだけでちょっと気分が上がる。仕事の効率化のアイデアは出てこないのに、悠々自適な生活のアイデアはいくらでも出てくる。

小春日和。寝不足の中、例のウッドデッキの上、リクライニングの効く椅子にもたれ、ギターでも弾いてみちゃったりする。まぶたの落下と戦い続けるまどろみの時間。

 

自適への渇望。誰しもが憧れる。理想郷。今は遠き理想郷。

だがしかし、これが実現したとして自分は本当に満足するのだろうか。きっと実現したところで虚しさが積もっていくことはこれまでの予定のない休日を鑑みるに、想像に難くない。

十分なお金があり、自宅も理想の家で、向こう2世代くらいは食うに困らない生活が見通せたとして、果たして自分は自適を貪るのだろうか。孫社長は働くのをやめるのだろうか。

きっと孫社長は働くのをやめないだろうし、自分も両手両足を投げ出して自適を貪る生活をしないだろう。なにかしらの活動はするだろう。

光があるから影があるの理論の如く、ウィークデイがあるからホリデイがある。ホリデイだけの日々にはきっとありがたみがない。楽しみが薄い。ウィークデイがあるからこそホリデイが輝いているのだろう。自適な生活も自適じゃない生活があってこそだろう。

 

島田紳助は今まさに沖縄だかハワイだかで悠々自適な生活を送っていると聞く。一流のお笑いセンスと一流のカリスマ性をもって、お茶の間を賑わせていたあの人が余生をどういった気持ちで過ごしているのだろうか。凄く興味がある。

時間のゆっくり流れる沖縄やハワイと違って、懸念が急きたてるように押し寄せてくるこの自分が住む愛知県名古屋市の日々。しかし、ぼちぼちの休みを貰えている点を考えると、きっと悪くはない生き方の最中にいるのだろう。

時折の適度な自適を貪りながら、悠々自適を渇望しながら、今日も足を動かす。

 

 

島人ぬ宝

島人ぬ宝