書いてなんぼの世界ですが
もう10月かぁ。時が進むのは早いなぁ、とかなんとか思いながらも、時節の区切りでなにかをしてみようという気にもならず、だらだらと過ごして早一週間が経とうとしている。
無為に日々が消費されている感覚のなかで、そういえばしばらくブログ書いてないじゃんと思い、ブログを書き始めた午後6時。
ブログを書かないでいる間にも、当然色々なことがある。だから書きたいことは溜まっていくのかと言われれば、意外とそうでもない。いざ書き始めてみて分かったことだが、書かないでいると書きたかったはずのたくさんのことが自分から抜け落ちていくのだ。嬉しかったこと悲しかったこと、全部が抜け落ちていく。穴の開いたバケツのように、感情は簡単に自分から流れていく。
無為に日々が消費されていく感覚とは、この感情の流出から来ているのだと思う。何も無い日々ってのはきっと無くて、なにかあったけどその時の感情を思い出せない日々ってのが連続してあるだけなのだ。
感情の流出を防ぐ為には、その時の感情を表現しなければいけない。文章だったり、会話だったり、音楽だったり、その時の感情を表しているものを表現できれば、それはきっと思い出となり、味のある日々を作っていける。
しかし、現実にはそうも簡単にその時の感情の表現は出来ないってのも当然ある。体力が無かったり、気力が無かったり、日々のしなきゃいけないことで人の元気、やる気の余剰分ってのは目減りしていく。
そうしたいくつかの力の余剰分を使って、人は能動を貪り、趣味に浸る。そうして日々の感情を表現していく。日々に彩りをつけていく。
仕事を上手く回したいなと思う日々である。社会に命じられるやらなきゃいけない事、仕事ってのは大抵粛々と回る。粛々と回るってことは、個人の力の余剰を殆ど許さない。だからこそ仕事を上手く回すってことは、その力をどれだけ余剰に回せるか、温存出来るかってことにかかってくる。これが出来ないとライフはワークのお疲れを癒すためだけの物に成り下がる。だからこそのライフワークバランス。仕事と趣味の分断なのだろう。
感情の表現を出来る方法がいくつかあるだけでも良かったかな、とも思う。会話や音でそれを表現できれば、もっと楽しかったであろう。
しかし、書いてみると意外と楽しいもんだ。書かない生活に慣れると書いていた頃には間違いなく書いていたアレコレすら書く気力がなくなっていく。恐ろしいことだ。というか、昔は2日に1回書いてたのが逆に恐ろしいが。それでも無為な日々を送らないように、これからもちょくちょく書いていこうと思う。