OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

Welcome to TOKYO.

高校生の頃、初めて東京という地に降り立った。一人で東京の桜新町という街まで親戚を訪ねに行くためだ。

初めての東京。多感な時期の高校生。愛知の片田舎で暮らしてきた自分にとっての東京は驚きと期待、そして恐れなど様々な感情を持つに十分な街だったように思う。

 

田舎と違って完成しているなー、と感じた。この東京という街は出来すぎているくらいに出来すぎている、と高校生の自分は感じていた。それを顕著に思ったのは電車を乗り継いで桜新町に向かった時だ。

桜新町へは東京駅から丸ノ内線、銀座線、半蔵門線から東急田園都市線に乗り継いで向かう。東京の地上地下問わず、嘘のように複雑に張り巡らされた鉄道網。恐ろしい数の到着と出発が絡み合っており、些細な不具合によって遅れが生じる鉄道網だ。

時間にして僅か数分。その数分に対してイラついて悪態を吐くサラリーマンを見た。サラリーマンを諭すようにして鉄道会社は謝罪を述べる。

「現在混雑の影響により、この電車は約5分ほど遅れて運転しております。お急ぎのところご迷惑をおかけして大変申し訳ございません。到着まで今しばらくお待ちくださいませ。」

 

東京に住む人がよく言う住みづらさってのはこういうところに表れているんだろうと思う。

遅れないはずの5分を当てにして人々は動いている。出来すぎている鉄道網に依存しきっているからこそ、万が一遅延が生じた時に悪態も吐いてしまう。否、依存しているとすら思わない。水道が出るように、電気が流れているように、その当たり前の一つとして緻密な鉄道網が敷かれている。水の出が悪いとイライラするのと同じレベルで、電車の遅延にイライラしている。

この出来すぎた街では兎角余裕が無いのだろう。全てが完成している街だからこそ一つの綻びで全てに影響が出る。それが東京の人口分で乗算されて一つの風土になってしまう。

 

5分に悪態を吐くサラリーマンも5分に平謝りする鉄道会社もどちらも出来すぎた街の日常風景である。しかしそのどちらも相当にどうかしている。なぜあんなに怒るのだろう。なぜあんなに謝るのだろう。誰も悪くないはずである。強いて言うなら出来すぎている社会が悪い。

完成された仕組みによって豊かになり、完成された仕組みによって憤りを感じる。自爆である。自爆を繰り返す社会は排他的雰囲気を生じさせる。そこに住みづらさの正体が隠れている。

とは言っても、その完成された社会にはそれを超える魅力が存在するのも確かだ。愛知の片田舎に住む身としては今も昔も憧れの街である。

 

様々な感情を内包しながら今日も東京の電車は走っている。時にぎゅうぎゅうに詰められた乗客のため息が猛烈な向かい風を電車にもたらし、遅延を呼び込もうとも。それでも鉄道会社は謝る。気持ちだけ受け取って、労わってあげたい。なんなら悪態を吐くサラリーマンの日々も労わってあげたい。誰も悪くない。

なにしろ全てが出来すぎているのだ。

 

俺ら東京さ行ぐだ

俺ら東京さ行ぐだ