OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

音楽出来る男ってカッコいいよね

ギターが欲しい。アコースティックギターが。

23の齢にして高校生みたいなことを言ってるのは承知の上だが、最近ギター欲がふつふつと湧き上がってきている。

別に音感に優れているわけではない。バンドをやっていたわけでもない。そういう脈絡は皆無なのだが、アコギが欲しい。

強いて言うなら、音楽好きって事くらいか。それでも十分な理由になるんだろうが、そういう人間はそれこそ高校のときにでも本格的に始めているだろう。

なんにでも始めたいと思った時が始め時、なんてことはよく言うがそれこそ始める土壌というのは必ずしも必要になってくる。

今回の場合、具体的にはギターが必要になってくる。しかし、楽器の知識どころか音楽知識も全くない。この状態で始めることは、言わば「形から入る」の典型例になってしまう。

 

ヒップホップをする人でスマートな格好をしている人はまずいない。大体が股下をギリギリまで下げたズボンを履いて、ダボつかせたパーカーを着て、ツバが一直線のキャップをかぶっている。ジャケットにパンツ、ネクタイを締めて、ヒップホップ特有の重低音に乗せてライミングしてる人は見たことがない。

これはヒップホップの発祥であるアンダーグラウンドに倣っての服装なわけだ。オリジンに右習えする忠実さとヒップホップの音楽性のミスマッチがなんとも好感を抱かせる。

力士の髷しかり、ロッカーのロン毛しかり形は大事だ。形をつくることは受け容れ易さの土台をつくるという事だ。トンチンカンな外見はそのミスマッチさ故に見ているものに不安を抱かせる。外見と内容の乖離は期待外れを誘発する。だからこそ「形から入る」ということは自分を、相手を目的の場所へと導く特急券なのだ。

ただ、個人的に、限りなく個人的にだが、形から入りたくない気持ちが強い。知識も技術も伴わない形は、なによりも滑稽に写るからだ。

ギターを始めるにあたって、自分にプレッシャーをかけたいからって高いギターを買ったとする。何万もかけて買ったんだから、続けるだろうと自己投資をする。

しかし、豚に真珠、犬に念仏猫に経。ギターに関しては、知識や技術がなければ価値が分からない。お金という分かりやすい単位で取引されるから、高いものは良い物だという神話があるがそれも絶対の指標ではない。

高いダイエットグッズがダイエットにすこぶる効果的とは限らないし、高いギターが絶対に良い音を奏でるとも限らない。そりゃあ、高いほうが圧倒的に良いものは多いんだろうけど、その本当の価値を知らないまま使うことになる。それは嫌だ。できるだけ価値を知れる人間になりたい。

じゃあ、勉強しろよって話ですよね。はい、ごめんなさい。出来るだけ勉強します。ギターを形から入る前にそれなりに勉強します。

要は初心者は初心者なりのものを買えっていう話だ。身の丈にあった、なんて言葉があるがその通りだ。ダボついててもいけないし、寸足らずでもいけない。身体の丈に合わないことには使いこなせるものも使いこなせない。

 

こんな話がある。人間が走る上での必要な筋肉ってのは色々ある。ハムストリングスだか臀筋だかヒラメ筋とかだ。

それらが関わりあって走る力が生まれるわけだ。しかし、どこかの筋肉が著しく発達していても他の筋肉が弱ければ、その一番弱い筋肉を基準として力は伝わっていくらしい。

ある程度は強い筋肉で他の弱い筋肉は補えるが、それにも限界がある。なによりそれではロスが大きい。

この話。モノと知識、技術の話にも通ずるとこがある。

これを更に今回のギターの話に例える。

アコギを弾く上での要素はおおよそ三つある。ギター自体のポテンシャル。張っている弦の良し悪し。そして奏者の知識、技術。筋肉の話よろしく、これのどれかが優れていてもどれかが悪ければ、その程度の音しか鳴らないわけだ。なんとももったいない。これではお金の、時間のロスを招くこと請け合いだ。

 

まぁごちゃこちゃ言ったが、自分の身の丈に合ったものを買ってとにかく練習!ブログでうだうだ言ってたってなにも始まりゃしないぞ。頑張れ、俺。

これに尽きる。