OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

だから僕は精一杯生きて花になろう

人ってのはどうやら自然に触れるとストレスが軽減されるらしい。

自分にそんな心持ちは一切無いけども、どうやら一般的にはそういうことが言われているみたいだ。だから花を植えましょう。

 

花を植えてきた。街角の植栽活動だ。環境美化、治安維持、CSR活動だかなんだか色々な要素が複合的に絡まりあった結果、大の大人が数十人で自分の仕事も放り出して、街の花壇をせっせと掘り起こし、雑草を抜き、花を植えることとなったわけだ。

この資本主義社会の日本。皆が皆、せかせかと働いているのに街角の花壇に目をやることがどれだけあるだろうか。きっとほとんど無いだろう。特に都会民。ない。ないだろう。

そう考えると花ってなんなのだろうか。この花たちの存在意義とは。花を植えながらそんなことを考えてみた。

 

そもそも、花ってのは種を残すために存在している。良い匂いを出して、虫を引き寄せ花粉を纏わせる。そして次の花に向かった虫たちが雌しべに花粉をくっつかせる。これでめでたく受粉。中学の理科知識程度だが、花の意義ってのは確かそんな感じだ。

つまり花ってのは種を残すための装置なのだ。人間がそれを見て癒されるだかなんだか言う花も植物の種の保存の手段に過ぎない。

 

こうやって考えれば人間も一緒だ。人間も自然の一部であり、どうせ生きとし生けるものは種を残すことが目的だ、とかがDNAに刻まれている。種を残す事をしないゲイであってもそのDNAに従ってムラムラはするくらいだ。

目的は人間も植物も結局のところは一緒だ。なら、人間にとっての花は何か。

 

それは恐らく人生そのものなんじゃないか。そんなことを誰も見やることはないであろう花を植えながら考えついた。

 

恐らく自分達は人生をたっぷり使って花をしている。本来の目的としては種を残す為なのだが、花自体があまりにも面白く、辛いから、花自体に意味を見出して、花をどれだけ綺麗に咲かせることが目的だと考える。

けどきっと人生をもっと大きな視点で見た時にきっとその一人一人の花の綺麗さにあまり意味はないんだろう。結局の目的は種を残すこと。次に繋げること。それがきっと人生における普遍的で最大の喜びとなり得る。花は種を残す為にあるからだ。

じゃあ、種を残す気の無い花に意義はないのかと言われればそれもまた違う。違うと言いたい。

物事は見方一つで大きく変わる。

人生で一生懸命になったって、どうせ花だが、されど花だ。咲かせる花がラフレシアかもしれない、バラかもしれない。蝶を呼ぶ花かも、ハエをを呼ぶ花かも。どんな花だろうと一生懸命に咲いてる花は美しい。人はきっとその一生懸命さに心惹かれる。

 

どうとでも取れる話ではある。人生必死に生きてもそれはただの手段だと言えばそれも真だし、精一杯咲いた花は綺麗だというのも真。

人生は花である。ならばどう咲くか。何を残すか。人それぞれ考えて人それぞれの花を、ひとまず咲くだけ咲かせていきましょう。

 

 

花