OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

今度飲みに行きましょう

「今度飲みに行きましょう」

何度、この言葉を放ち、何度、この言葉で契り、何度、放りっぱなしにしてきたであろうか。

この言葉を放った時点では、誠実な誓いを立てているつもりであるし、本気で飲みに行きたいと考えているものの、何故なのか、どうしてなのか、実際に宴席が実現するのはほんとに数少なかったりする。これを嘘つきと言われればもう言い訳のしようがございません。

 

友人と会う事を仕事にしている人はいない。いるかもしれないが、自分は見たことはない。皆んな、仕事をしながら、日常を転がしながら、たまに会いたい人がいる。

しかし何より大切なのは自分の日常である。きっと、皆んなもそうだろう。そうだよね?

人が毎日を生きる為に日常があり、日常は毎日に支えられている。その中で日常の余剰分を使って誰かと飲みに行く。

「今度飲みに行きましょう」の主体は、1人ではなく、2人以上となる。だから、お互いの日常の余りを持ち寄って、初めて飲みに行くことができる訳だ。そう考えると、飲みに行くという行為自体が極めて難しく、そしてその実現は奇跡に近いもののように感じる。

でも、自分たちは簡単に「今度飲みに行きましょう」と口に出す。「飲みに行こう」ってのは便利な言葉なのだ。あなたのことを大切に思っていると、それとなく伝えられる言葉なのだ。

あなたに、私の日常を、割きます。割かせて下さい。たった一言で、ここまでの想いを相手に伝えられる言葉は中々ない。

その場では行こう行こう!と盛り上がり、翌日あたりには、密室の中で灯るキャンドルのように、徐々に徐々に酸素がなくなるように、その意気は消え去っていく。

「あなたのことは大切で、あなたと会いたいとは思っているけど、今は日常を割くほどのアレではないのでごめんなさい。」浮かんでは消えていく数々の「飲みに行こう」のメカニズムはこれだったりするのではないだろうか。

 

優しい嘘ではないか。なんと、優しい嘘だろう。飲みに行こうねが実現して、それが日常になることもある。僕とあなたの、彼と彼の、ほんの少しの日々の余りを、持ち寄る気持ち。ほとんどが嘘だとしても、幾ばくかの真実はそこにある。あったらいいな。

 


たくさん、飲みに行こうねと言って、何も動いていないので、懺悔の気持ちがいっぱいです。ごめんなさい。

でも、日常も大切なのです。今を生きるのに今は精一杯だったりするのです。

いつかはきっと飲みに行きましょう。

 

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