OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

怒りコントロール略してイカコン

格闘技をやっている人間は人を殴ってはいけない。とよく言う。昔は確かに。と思っていた。強い力を持っている人間の陶酔が見て取れるこの言葉に少なからず共感したからだ。しかし今になって思うといや、格闘技やっていようとやってなかろうと人は殴っちゃだめでしょ。という結論になる。強い力だろうと弱い力だろうと自分の中の感情を処理できずに外に当たる行為は何においても最低だ。

 

自分は昔から体が大きかった。小学生にして身長170cm。体重75kg。完全にモンスターチャイルドである。それに加えて5歳から柔道をしていたために子ども特有のちょっとした癇癪も同じ子どもに向けられたらそれはただの暴力の嵐となってしまう。

故に母親には絶対に手を出すなと、なにか憤りを感じても言葉で伝えなさい、そう教えられた。大人になった今でも上手く言葉を伝えられないのに、子どもの自分にそれが出来るはずもなかった。それで結局手が出て何度怒られたことか。しかし、抱いた感情がどういうものか分別するということは覚えた。

辛い気持ちを抱いた対価として自分はどんな感情を抱いているのか、それをどう自分の中で落とし込むべきなのかは実践的に備わっていったように思う。

 

感情が溢れるときってのは、大体が自分の中の感情が処理できなくなったときだ。悲しみすぎてその悲しみをどうしたらいいか、イライラしすぎてそのイライラをどこにぶつけるべきか分からなくなる。

分からないってのは経験がないからだ。未知のもののコントロールは難しい。けど、自分の感じたものはどんな感情か、どう処理すべきかを覚えていけばその処理が出来るようになる。自分は体が大きかったことでそれに早くから気づけるチャンスを得たと感謝している。

そして、感情の爆発ってのは人を動かすほどの力を持つ重要なものだと思う。大喜びは幸せを分けるし、大泣きは悲しみを分ける。

からして、慎重に行わなければならないだろう。しかし、人を不愉快にさせる怒りの爆発をいけしゃあしゃあと行ってしまう人は世の中に多くいる。よくないなぁ、と思う。自分の感情をコントロールできないのは何よりも恥ずべきことで、それを外に出してしまうのはやはり最低だ。

 

感情を素直に表に出すことは嘘や偽りがなくて素晴らしいことだという話もある。それも一理はある。怒りや不満を抑えるために、自分に嘘をついて宥めなきゃいけない時もきっとある。

結局、何を美徳とするかはどこに考えの軸足を置くかで千差万別だ。価値観なんて軸足一つで高尚にも卑近にも変わる。けれど、やっぱり人に当たることはしたくないなぁと思う。何を考えているか分からないとか言われようとも、自分の感情を自分の中で落としこめる人間でありたい。

きっと母もそう望んでいるだろう。

 

 

怒り

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