OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

人生ってのは比喩でもなんでもなく冒険そのものだ

先日、いとこの子どもを預かることになった。2歳ぐらいの男の子だ。

自分は子どもを育てた経験も年の離れた兄弟がいるわけでもないので、2歳くらいの男の子がどういう挙動をするだとか、どういうものを好むだとか、この子は発育が早いだとか遅いだとかは一切分からない。なので預かることになったといっても、全く未知の存在を預かったことになる。UMAとほぼ一緒だ、自分にとっての2歳の男の子というのは。

なので当然どうやって遊んだらいいかも分からない。そんなことであたふたしていると、母親から「2歳くらいの男の子なら外連れてってあげたらいいよ」という助言。男の子を既に二人育て上げた女からの助言だ、大人しく戴こうと思い、彼を連れて近くの動物園に行くことにした。

 

一応、移動中の車内で動物が出てくる動画なんかを見せてみる。ゾウとかキリンが出てくる度にキャッキャと声を上げて喜んでいる。ほぉ、どうやら動物を観賞物として楽しむことは出来るみたいだ。安心。これなら動物園もそこそこ楽しめるだろう。

 

動物園に着いて色々と見て回ったが、見える動物にはそれなりの興味を示していた。プールの際で日光浴をするペンギンを怪訝な顔で見つめては「あ?」とか「お!」とか言ったり、飼育室をウロウロするトラにはガンを飛ばしてみたり、止まり木の上で大きく羽を広げるコンドルには一丁前に身構えてみたりもしていた。

そういう反応も面白かったのだが、彼には見えないものも多くあるのも面白かった。例えば、草の向こうに隠れるライオンだとか、木の陰で寝そべるジャガー、水面下でじっとしているカバなんてのは、こっちがいくら指を差して視線を誘導させようとしても彼は結局それらを見つけられなかった。

 

保護色とかの効果もあるかもしれないが、そもそも彼は「柵の向こうにはなにかがいる」という前提、お約束みたいのを理解していないみたいだった。だから反応的に見つけられるものには興味を示すが、目を凝らさないと見つけられないものにはそもそも興味すら示さない。

もし、そこが柵やら格子やらで隔たれてなかったら、彼は無頓着に動物たちのテリトリーに入り込み、頭をかみ砕かれたり手痛い後ろ蹴りを喰らったりするのだろうか。当然、自分もサバンナの真ん中に放り込まれたりして人間有利の状況でなければ動物たちの餌になることは想像に難くない。しかし2歳の彼にとっては動物園もサバンナになり得る。動物園の真の価値を味わえるのは、彼のようなほんとに小さい子どもだけなのかもしれない。

 

しばらく見て回った後、彼がなにやらぐずりだした。どうにか読み取るに、歩かせろと言っていることが分かった。その日はベビーカーで行ったのだが、いとこも「最近歩きたがるのよー」とは言っていたので、靴も持ってきていた。まぁ、歩きたいというなら尊重しよう。人はいつだって自分の足で歩き出せるのだから。それはまだ覚束ない足取りである2歳児でも同様だろう。よし、行ってこい!

と意気揚々に歩き出させたのはいいが、なんとも無軌道で不安になる進み方であった。前に進もうという意思は感じるが、前と言っても自分たち大人の想像する前ではなく、右に寄ったり左に寄ったりしながらの前進だ。他の人にぶつからないように注意しながらの行軍は非常に疲れた。

 

しかしその背中は非常に楽しそうで希望に溢れているように見えた。

彼はきっと冒険しているのだろう。

これは比喩でも形容でもなく、彼はただただ冒険をしているのだ、と思った。

ライオンがガオーと鳴いただけで泣いてしまう彼だが、動物園を一人誰とも手を繋がずに歩く彼の背中はどこか勇ましく、文字通り一歩間違えば死んでしまう自由を謳歌していた。そんな勇猛果敢な彼の後ろ姿をなぜだか少し羨ましく感じてしまう自分がいた。

人生ってのは冒険に例えられる。なにもなくただ広い荒野、鬱蒼と草木生い茂る密林、険しい山。それぞれがそれぞれの地形を自分の足で踏破していかなければならない。誰もがそうだ。

 

周りを見渡す。

シロクマ可愛かったね、と笑いあうカップル。彼らはこの後セックスでもするんだろうか。愛し合っているんだろうか。死ぬまで出会って良かったと思いあえる関係になるのだろうか。今もそうなのだろうか。今後もずっとそうであるのだろうか。

羊を触ったんだから手を洗おうと言う母親、別にいいだろと言う父親。その横で鼻水を垂れ流す子ども。夫婦仲は良いのだろうか。彼らはどんな家族になっていくのだろうか。

 

明らかに冒険然として歩みを進める彼も含め、ここいる誰しもが冒険をしている最中なんだなと感じ入る。

今日初めて動物園を訪れた彼も、いずれは自分と動物園に来たことも忘れ、親と来ることも嫌がるようになり、別の誰かとまるで初めて動物園に来たようにまたここに来るだろう。

更にその先には、彼も言うことをロクに聞かない子どもを引き連れてここを訪れるかもしれない。彼もその頃には、今日見つけられなかった草の向こうに隠れるライオンも、水面下でじっとしているカバも簡単に見つけられるようになっていて、人生は冒険だ、なんて素振りを一切しないのかもしれない。

 

けど、そうだな。教えられたぜ、2歳児よ。無為に毎日を過ごしていたから忘れていたが、俺も人生を冒険しているんだってことを。

 

特に自分は同性愛者ってこともあって、結婚だとか出産だとかっていう人生の起伏もないと思っていたが、人生はそれだけじゃない。ただ自分の足で動物園を歩いてるだけの彼の背中がここまで雄弁に人生は冒険だってこと語っているのだ。自分にとっての人生も誰かから見たら立派な冒険かもしれない。あそこにいるカップルや家族のように自分もなにかを積み重ねれるかもしれない。

というか、そうであったらいいな。そう思ってくれるように生きていこうかな、なんて思わされた2歳児との動物園であった。

 

けど、子どもと一日中遊ぶこと自体はクソ疲れたのでしばらくは勘弁願いたい。