OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

僕の、あなたのBUMP OF CHICKEN

BUMP OF CHICKENというバンドが好きだ。

ご存知だろうか?ご存知だと嬉しい。平成1桁代に生まれた人間が音楽に興味を持ち始めた時に、絶大な人気を誇っていたバンドだ。その魅力としては、やはりギターボーカルである藤原基央のソングライティング能力にあると思う。BUMP OF CHICKENの作詞作曲は基本的に藤原基央が行っている。藤原基央のソリッドな感覚から繰り出されるビビッドなリリックは、思春期の中高生を魅了して離さないのだと思う。

自分も中学生のころ彼らに出会った。思春期という時期特有の自意識と葛藤でごちゃごちゃだった感情に寄り添い解きほぐすような歌詞。そして初めて出会うバンドサウンド。当然のことの様に魅了された。そして彼らの歌によって感情を丸め込まれていって自分は大人になった。

時は変化を促す。自分が大人になる時間が流れたということは、当たり前だがBUMP OF CHICKENにも時間が流れている。そして彼らの音楽性、藤原の感性から繰り出される歌詞にも変化は当然起きている。初期には世間に牙をむき、若い感性を振り回していた藤原基央も世間に認められ、時が経ち角がとれて丸くなっていく。それこそ自分が初めて聴いたアルバム、3rdアルバムの「jupiter」には、メジャーデビューしてからの環境の変化に対応しようともがく藤原基央の姿をみることができる。もがく藤原基央の姿に自分の思春期は共鳴したのだろう。

 

jupiter

jupiter

 

 

今のBUMP OF CHICKENは、もがきにもがいてもがききって対岸に到達している。初期のように苦しみやしんどさをテーマに歌いはするものの、それは対岸の少し離れたところから歌っているように感じる。歌い方にもそれは表れていて、見守られているような優しさを感じる。それだけ彼らの変化は著しい。

ここまで語っている自分もリアルタイムに彼らの変化を見てきた訳ではない。BUMP OF CHICKENの人気の隆盛が少し落ち着いていた頃に自分は彼らに出会った。先述の例で言えば、対岸の地面に少しタッチしている頃だ。そこから過去に遡ってCDを聴き漁り、BUMP OF CHICKENというバンドの中身を知った気になっている。CDを聴き漁るなかで、初期の荒さに共鳴しながらも、後期の温かさに勇気付けられたりもした。

十人十色、人には人の乳酸菌の言葉通りに人それぞれのBUMP OF CHICKEN観がある。初期の藤原基央の刺々しさに今も焦がれる人間は数多く存在する。それぞれがそれぞれの「僕のBUMP OF CHICKEN」を持っている。BUMP OF CHICKEN好きが集まると必ずと言っていいほど、この「僕のBUMP OF CHICKEN」はどこまでかという話になる。この話でハイボール10杯はいけるだろう。

個人的なBUMP OF CHICKEN観を語らせてもらえれば、やはり4thアルバムの「ユグドラシル」が起点になると思っている。そこが初期からのBUMP OF CHICKENの集結点であり終着駅、そして同時に中期、後期への始点であり始発駅となる。

 

ユグドラシル

ユグドラシル

 

 BUMP OF CHICKENを紹介する時は、このアルバムを初めに勧める。何故ならこのアルバムには箸休め的な歌がない。全部直球。ど真ん中ストレート。BUMP OF CHICKENの中のBUMP OF CHICKENが色濃く出ている。圧倒的名盤だ。藤原の感性とバンドとしての完成度が奇跡的にシンクロしている。歌詞をたてるために楽器を弾き、楽器をたてるために歌詞を添えているような感覚を受ける。

このアルバム以前では、藤原のささくれだった感性が先行して荒々しくも野趣に富んだ印象を受ける曲が多い。このアルバム以後はメンバーの技術も上達し、しっかりとした演奏に支えられた上での藤原基央の伸び伸びとした曲が聴ける。

最近は初音ミクとコラボしたり、配信シングルしか出さなくなったりとまたも多様な変化を見せ続けているBUMP OF CHICKEN。それぞれのBUMP OF CHICKEN観はあろうが、それでも彼らは今聴いている誰かの為に歌い続けているのだろう。自分もその一人だし、あなたももしかしたらその一人になるかもしれない。そんなことを期待しながら、とりあえずこの自分語りを終える。