OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

今日の夜何食べよう?

一人暮らしをしていると日々の夜ご飯に悩む。日々の悩みの70%がこれに終始するといって良い。日中の業務中はさして気にならないものの、カラスが鳴き帰宅を告げる夕闇が垣間見える時間になってくると急にこの悩みが首をもたげて現れる。お肉があるから炒め物にしようか。野菜が残っているから炒め物にしようか。卵の消費期限が近いから炒め物の上に乗せようか。炒め物だらけだが気にしないでほしい。女には色々あるの如く、炒め物にも色々あるのだ。とにかく日々のエネルギーたる食事であるのに、それを考えるためにエネルギーを使うなんとも本末転倒な日々を過ごしている。

これを解決するためには2つ方法がある。

まず1つ目としては外食をすることだ。管理通貨制度に支配される世の中、あらゆる物は貨幣と交換して手に入る。勿論、美味しいご飯もその例に漏れない。自分で調理することなく、食べる直前の状態で提供してくれる。なんと素晴らしいことか。自炊している身になって初めてこの感動を知った。なんとも言えない感動に包まれながらの食事は格別なものであるだろう。……しかしそうはならない事がある。自炊をしなければならないということは、裏を返せば自炊が出来るということでもある。中途半端なものを割高な値段で出された日には、その後悔は計り知れないものになる。これなら家で食べればよかった。そんな厚かましく無遠慮なことを思ってしまうのだ。抽象派の画家の絵画を見てこれなら自分も書けるのではないかと思ってしまうような驕りがそこにはある。

ということで日々の食卓をアウトソーシングすることは後悔を生みやすいし、なによりお財布的に優しくない。お財布に優しくないというのが一番の本音だ。これは偉くなって給与体系諸々が磐石になってから行うべきという結論に達する。

2つ目として人に作ってもらうという案だ。一人暮らしを始めるまでの20年間はそうして生きてきたのだからこれからもそうするのがなんとも安牌だ。食卓の仕事はアウトソーシングしつつも、自宅で作ることにより価格的メリットも見出せる。これまでの方法を踏襲することにより自分もストレスフリーだ。しかし、問題点が1つある。賢明な方々ならお気づきだろうが、問題は誰が作るかである。経営資源でいう人モノ金のうち人的資源が圧倒的に不足している。なぜなら一人暮らしだから。住居も一人暮らし用で契約しているし、給与もあと一人を養えるほど潤沢ではない。あらゆる要素で一人暮らしが決定付けられている。望んだ一人暮らしという枠に自らを制限されている。あはれなり一人暮らし。

ということでこの2つ目の案もあえなくボッシュートだ。もうヒトシ君人形は残されていない。そうなると後に残るのは自分のみである。一人暮らしという他人の庇護の傘がない状態にあるのだから当たり前であるが、やはり手前のケツは手前で拭かなければいけない。ご飯の話をしててケツを持ち出すのはなんとも不躾だが。それを学ぶための一人暮らしでもあるのだろう。

明日からも夜ご飯に何を食べるかという問題は顔を出すだろうがやはり一人で立ち向かっていくのが正解なんだろう。独りにならず一人を謳歌していこう。

 

とりあえず何か食べよう

とりあえず何か食べよう