OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

一人旅に行ける人が羨ましいって話。

お盆が終わった。自分のお盆は15日までと極一般的なものであった。世の中には有給を上手く使ったり、そもそも休みが多かったりして10連休なんて人もいた。

しかし、そんな人も含めて大方のお盆が終わり日常が始まっているであろう8月の第4週。

自分の職場にも10連休を満喫している人はちらほらいた。その内の一人が昨日、旅のお土産を持ってきてくれていた。アイスランドまで一人旅をしてきたらしい。

はあ、アイスランド。どこにあるんですか。スカンジナビアですか。へえ、イギリスの北西あたりですね。すごい遠いとこ行きましたね。なんてことを話した。

いやはやなんとも、単純にその行動力に驚いた。

アイスランドという遠い異国の地まで一人で赴くバイタリティ。めちゃくちゃ寒いだろうに。アイスランドにそこまでのフェロモンを感じ取ったのは本当に単純にすげーと思った。

しかし周りの反応は違った。驚きよりも羨望が強かったのだ。一人で異国に旅をしたいという憧れが多かった。

確かに固定観念を超えた海、森、山。そして、人や言葉に圧倒されたいというのは分かる。しかし、それが一人旅へと突き動かす衝動になるかというと違う。

確かにグランドキャニオンには死ぬまでには一度は行きたい。けど、グランドキャニオンに5回は行けるような経済力がつかなかったら多分行かないだろう。優先順位は自分の中で限りなく低い。

一人旅のために時間をつくろうとか、一人旅のためにお金をつくろうとかまでして一人旅にかけるものはない。

今年の春前、大学卒業前には卒業旅行と称して様々なグループと様々な場所へと行った。

学友と卒論お疲れ様の旅だったり、柔道やっていた仲間との今までよく頑張ったねという労いの旅、同い年のホモという共通点しか持たない人との交友を深める旅。

どの旅も旅先に求めるものより、旅の友に求めるものが大きかった。漠然とあれが食べたいとかこれが見たいという旅ではなかった気がする。勿論、自分の中ではあるが。

自分は、旅の目的地よりも旅を共にする仲間に多くを求める性質なのかもしれない。そもそも旅に慣れてないから一人旅のハードルが高いだけかもしれない。

どちらにせよ、旅が好きな人とは明らかに何かが違う。

旅が好きな人とは、一体なにを思って旅をするのか。日常からの逃避か。未だ見ぬものへの好奇心か。

多くの人が前者を思って旅をすると仮定した場合、自分はある意味幸せなのかもしれない。

夢を見るときに現実に沿った夢を見る人間はいない。限りなく現実に沿っていたとしても、大概どこかにありえないこと、夢らしさが現れる。フロイトの言う通り、夢が無意識の集合体の現れなのだとしたら誰もが皆日常からの逃避欲求を持っていることになる。

コンクリートとビルに囲まれた日常を送ると、自然物に憧れるわけだ。優雅な尊大な景色を見たくなるわけだ。それで旅をしようと決意させてくれるのだろう。

つまりだ。旅にそこまでの熱を上げてない人は、それなりに日常を悪くないと思っているのではないか。だからこそある意味幸せなのだ。

しかし、逆にどれだけ行きたい場所があっても、それにかかる費用とか時間とか評判を考えてしまう。帰宅後の疲れとかを考えてしまう。それもある意味哀しい。

しかしこの幸せ、中々に得がたいものだ。貧乏舌がなにを食べても美味しいように、日々をそれなりにやっていける力があるってことなのだろう。毎日食べてるものが美味しいなんて、こんな幸せはない。

そんなおめでたい結論に至ったところで締めようと思う。

あーでも、グランドキャニオンには行きたい。

 

 

世界一周ホモのたび (本当にあった笑える話)

世界一周ホモのたび (本当にあった笑える話)