OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

Get Wet ~夕立に降られながら~

夕立に降られる確率が尋常じゃない。外に出たときに限って、夕立が自分の頭を強かに降りつけている気がする。

夏の風物詩、夕立。積乱雲の発達により集中豪雨を降らせ、時に雷や雹を伴うこともある。

毎年毎年、夕立に降られているが今年はその被害を直に受けている。外出するたびに豪雨に塗れ、地下鉄は軽く冠水し、家の横には謎の小川が発生している。川じゃないところに川ができる恐怖ったらない。なるほどムー大陸はこうして消えていったかと、アリンコぐらいのスケールで実感できている。

そもそも雨は憂鬱になる。なんでか。濡れるからだ。濡れるのは憂鬱になる。

雨へのアプローチは古今東西2通りしかない。濡れるか、濡れないかだ。もっと言えば、濡れることを覚悟して濡れることが一つ。濡れることを拒否し、濡れないためにあらゆる策を講じることがもう一つだ。

大半の人は濡れないことを選ぶ。何故なら、濡れてはならないものが多すぎるからだ。カバン、服、髪、靴。あらゆるものに防水対策ウォータープルーフ。これでもかってくらい水をはじいてくる。現代において濡れることはそれだけ忌避されるからであろう。

確かに取引先にびしょびしょで行くわけにはいかない。なんなら、身内にもびしょびしょの姿を晒すのはよくない。書類を濡らすのもいけない。USBを濡らしてデータを飛ばすのも当然いけない。体面的にも内容的にも濡れてはならないのだ。

濡れることが許されない社会に生きているのだ、我々は。だから郷に入っては郷に従うしかない。濡れちゃいけないのだ。

ただ、本音はどうだろうか。濡れたくないのか。人間、本当に濡れてはいけないのだろうか。

これはきっと違う。濡れたくないのではない。濡れられないという先入観がそうさせているだけなのだ。

ウォータースライダーは何故あるのか。濡れるためだ。濡れたいという人間の根源的欲求の成果物がウォータースライダーという形で表れているのだ。

ピチピチチャプチャプランランラン。誰もが口ずさんだであろうあのメロディーは濡れにいくことを推進している。濡れるために足を踏み出している。人間の原体験として雨に濡れることは決してマイナス事項ではないのだ。

試しに暇な日の夕立にでも無抵抗に降られてみたらいい。ショーシャンクの空のあのシーンよろしく、この上ないカタルシスを得られるであろう。

冬に厚着をするように、夏に薄着をするように雨の日には雨の日の服装、濡れ着をしてみてもいいんじゃないだろうか。濡れないための必死の守りをするより、天の恵みである雨をそのまま享受し、流れるままに流されるままに濡れてもいいんじゃないだろうか。

速乾性の服にサンダル、なんて服装が広まれば突然の夕立に降られても困ることはない。傘をどこかに忘れてきたって落ち込む必要もない。そもそも傘という手荷物が省略できる。魅力的なことばかりだ。

今では定着しているクールビズ。これは時の政府が主導したからこそ世に広まった。ならばこの雨の服装、濡れ着。よりスタイリッシュに言えばウェットビズ、ないしモイスチャービズはこのブログから広めていこうではないか。そうだ、そうしよう。

いや、風邪引くか......

 

パイレーツ・サマーバトル

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