OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

コンテンツのコミュニティ化問題

GOGOボーイという文化がゲイの世界にはある。

GOGOボーイとは、ゲイナイトにおいてとてもエッチな身体をしたとてもエッチなお兄さんの事で、加えて彼らはとてもエッチな下着を履いてとてもエッチなダンスを踊る。

 

自分の友人に、このGOGOボーイという文化に傾倒しているやつがいる。全国各地で開かれるナイトに足繁く通い尽くしているという。自称GOGOボーイオタクらしい。その活動を見るにGOGOボーイホリックといっても差し支えないように思えたが、自称はオタクであるらしい。そんな彼とこの前少し話をした。

ちなみに、自分はそういうGOGOボーイが出るイベントはあまり行かない。これまでの人生において何度か行ってはいるが、どうにもあのナイト特有の熱気みたいなものに負けてたじろいでしまう。GOGOボーイのショーには大変魅力を感じるが、イベントの熱気の中でGOGOボーイを楽しめる気概は今の自分にはまだない。

そんな自分でも彼のGOGOボーイ界隈の話は大変魅力的に聞こえた。

登場人物が膨大で頭の中で整理するのが大変だったが、なんとなくで聞いていてもGOGOボーイとそれを楽しむ客との群像劇は大変面白かった。イベントを中心として渦巻く人間模様。渦中にいる彼の話はとてもリアルだった。

 

そんな中、コンテンツのコミュニティ化という問題が今のナイトでは起こっているという話を聞いた。

様々なナイトに行っている彼。すでにナイト界隈での友人は両手に余りまくるほどいるという。同じようなGOGOボーイ好きにも多く出会ってきたらしい。

戦友、尊敬、侮蔑。

GOGOボーイという沼にはまった同志、互いの推し方を語らいながらそれぞれの感情を抱く。更には、イベント関係者をも含めて人間関係を形成し、同じような面子を揃えて深く沼に沈んでいく。

 

オタクってのは自己満足だと彼は語っていたが、彼は先人の背中を見てGOGOボーイオタクに励み、また、彼の背中を見てGOGOボーイオタクの理想を追い求める人もいる。

GOGOボーイというコンテンツに向けられていたはずの視線はGOGOボーイに向かっている彼の視線に向かい、やがてGOGOボーイに向かっている自分の視線に向かいだす。メタ化に次ぐ、メタ化。広がった視野はやがてコミュニティを形成し、コミュニティは協調性と競争力を生む。

単純にGOGOボーイを楽しむだけだったはずのコンテンツは、同じ趣向の人たちでコミュニティが形成されやがてその中でルールが生まれてしまうらしい。同族かくあるべし。様々な同志の姿を鑑みて育まれたそれぞれの理想像を振りかざしてオタクたちはGOGOボーイに向かう。

そこにあるのは排他的雰囲気。身内感。GOGOボーイをも巻き込んだオタク活動はお金や愛憎劇を吐き出しながら、コミュニティの深化を繰り返していく。

 

商売を考えると、コンテンツのコミュニティ化ほど強いものはないと思う。愛情や顕示欲をくすぐってお金を落とさせ、協調性や競争心を煽ってコミュニティの沼にはめていく。しかも、中にいる人間はこの上なく幸せときたもんだ。人間が抱く感情全てにお金を付帯させてやれば、そのままインフレのスパイラルだ。

しかしセクシャルマイノリティである狭い世界に生きる自分達のコンテンツでその要素を強めていくと、単純にコンテンツが先細っていく。強い協調性、身内感は広く開かれているはずのゲイナイトの門扉を狭くさせてしまう。それはイベント関係者としても思うところではないだろう。

まぁ、ゲイナイトはGOGOボーイだけで構成されているものではないので、先細り云々は多少的外れかもしれない。コンテンツのコミュニティ化っていうのは少なからず起きるものだし、それは楽しんでくれている人がいるってことの何よりの証左だ。

それに世情もある。

年賀状やお中元お歳暮のような狭い人間同士が相対する文化は時代と共に息を潜める一方、コンテンツに向かうそれぞれが紐帯を結ぶ文化は隆盛の一途だ。フェスとかソシャゲとかも、その隆盛の一つであろう。

 

好きなものは好きと言えるこの時代。趣向が同じもの同士で寄り集まり、コミュニティを形成しやすくなったこの時代。それでコンテンツが活き活きしているのなら掛け値なしにいいことだろう。

とりあえずはここでうだうだ言う前に、彼が語ってくれたGOGOボーイの世界を見に行ってみようと思う。GOGOボーイの魅力を感じにいこうと思う。目標は、GOGOボーイのお尻に千円札を挟むことだ。