OTNK日記

20代。ゲイ。種々雑多な日記。

Future&Past

X-MENの話ではない。マーベルファンの方は申し訳ない。

未来か過去か行くならどっちか、みたいな話を今日した。なんとも中学生がしそうな話であるが、23にもなる男共でキャッキャッウフフとそんな夢を語り合った。

こういう話が出た場合、大抵はどっちに転ぶのだろうか。今日の内輪の時点では、過去に行きたい派が多数を占めた。大体は大学生に戻りたいという過去の安穏とした日への懐古を目的としたものだったが。自分も例に漏れずそんなことを言った気がする。

しかし、改めてこの荒唐無稽な夢物語を考えてみると結構奥が深い話かもしれない。未来と過去。どちらも魅力があるが、改めてどっちが良いか熟考してみてもやはり行くなら過去に軍配が上がる。

 

未来。未来の自分が見たい、未来の旦那が見たい。未来を知れたらと思うことは多々ある。運命の糸は小指から出ているか知らないが、滅茶苦茶にこんがらがった何色かの糸の先にいったい誰がいて、何が待っているのか。そんなのは誰にでも興味があることだろう。興味が無いと言われたら、それは偽と言わざるを得ないほどだ。

勿論、そんな薔薇色な未来が必ず待っているとは限らない。無様な自分が膝と頭を抱え込んで倒れているかもしれないし、その場所が川沿いのダンボールの上なんてこともありえなくはない。最低限度の文化的な生活が遅れている保障はどこにもない。

とは言っても人の心情的には、薔薇色の未来が待っている可能性に賭けたい。運命の糸が大変素敵な御仁を連れてきてくれるかもしれないし、宝くじ1等という幸運が急にまいこんでくるかもしれない。新たな才能に目覚め、それで栄誉を得れる可能性だってある。

つまり、未来を夢見る心とは射幸心の表れなのだ。未来の自分への賭けと言ってもいい。

パチンコにハマりすぎると身を滅ぼすように。競馬場で人生を賭けた馬券がばら撒かれるように。ソシャゲのガチャに大枚を叩いた代償がもやし生活なように。射幸心の行き着く先はあまり美しいと言えるものではない。向上心とはちょっと違い、世間からもあまり良くないものとされている心、それが射幸心だ。誰もが夢見てそして大概は散っていくのが相場である。

保守的と言われればそれまでだが、個人的には未来に相当の期待はかけたくない。なにせ生まれてこのかた賭けに勝ったことがない。経験則により未来を選ぶことは忌避されているのだ。哀しきかな。

 

だから過去が見たい。未来を避けての過去、という側面もあるが過去には過去で魅力がいっぱいだ。

それこそバックトゥザフューチャーみたいに、両親の馴れ初めを見に行ってもいい。歴史の教科書に載るような時代に行ってみてもいい。確かにそこにあった歴史をなぞることは愉快で、そして同時に安心を得れるだろう。未来の不安定で、デコボコな感覚とはまるで違う。

今、自分の後ろにまっすぐ伸びている歴史の糸が、どのように収束していったかを知りたい。自分は賭けよりも答えが分かっている答え合わせに楽しみを見出すタイプなのかもしれない。

自分のルーツも、国の成り立ちも、奇妙な生物も、果ては宇宙の真理すらも答えは過去にある。むしろ答えは過去にしかないと言ってもいい。

 

光の速さで動くことで未来にいけると、相対性理論は言っている。けど、きっと常に今を生きる自分達が最先端だ。

未来は存在しないがすぐにでもつくりだせる。過去は確かに存在したが、つくりだすことはどうやったって叶わない。こう考えると過去が愛おしく感じてしまう。1秒前よりも100年先の方が物理的な距離は近いのだ。

 

つらつらと考えてみたが、要は不安定な未来は見たくない。未来の自分が確かに立っている自信がないのだ。

ここで未来の自分はどうやったって今の自分より素晴らしい!って言える人間になりたい。そうなるために今の自分を鍛えていこう。身も蓋もないが、過去にも未来にも現状どうやったって行けないのだから。